常識を疑うことと、常識に従うことと。

12月からこっち、新規事業の立ち上げと、事務所の移転と、
そんなものを繁忙期にやってしまったこと、
さらにそこに顧問先の経営改善計画が被さってきて、
最近、クリエイティブな思考を生む時間が乏しい感じに。

するとどうしても発想が普通というか、常識的というか、
無難な方向に流れてしまいがち。
そんな、あまり面白くない日を送っていますので、
自分への語りかけ、という意味も込めて今日は、
「常識を疑う」テーマのバックナンバーを。

----以下、2021/11/10の記事を転載----

よく、「常識をうたがえ」という言葉を耳にすると思います。
でも案外、これって難しいことだろうと思います。

常識は思い込み(であることが多い)

常識を疑う、ということについて、
かのアインシュタインが名言を残しています。
「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない」
Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen.

18歳、ということは、高校卒業の年齢ですね。
人は生まれてから日々成長していく中で
いろんな出来事や人との関わりの中から
「常識」というものを身につけていきます。
そして子供の頃に身についたものは、
体と頭の奥底までに染みわたっており、
これを取り払ったり変化させたりすることはとても困難です。

私も偏見とトラウマの塊のようなものです。
アドラーによると、トラウマというものは存在しないらしいですが。
この話しをすると大きく横道にそれていきますので、
いったん置いておきますw。

18歳までということとなると、
それはほぼ「家庭」と「学校」です。
家庭での環境や学校での友人や教師との接点の中で
どうすればお互いうまくやっていけるのか、
という経験を身につけ、
この経験の積み重ねがいつしか「常識」として
自分の中に深く刻み込まれるのでしょう。

常識よりまず、自分の感性と論理で考える。

しかし、家庭と学校というのは、
教育の場としてはとてもとても大切なものなのですが、
非常に閉じられた世界でもあります。
学校を卒業して外に放り出されると、
そこには全く違った世界が広がっています。
アインシュタイン曰く、常識は18歳までの・・ですが、
実際にはその後別の環境に放り込まれた結果、
またそこでの「常識」というものが
徐々に体に染みついていくことになります。

でもその段階では私たちは子供ではないわけで、
より高い次元で自ら思考し、自ら感じ、
自ら選択することができます。

日本人はどちらかというと素直で真面目で、
そんな性格がいい方に働く場面も多いのですが、
一方では周囲の「常識」に対し自らのフィルターを通さず
そのまま受け入れてしまう、という傾向があります。

でもこれでは横並びの思考ができあがっていくだけで、
その中から新しいものも生まれにくくなってしまいます。
そもそも「自分もそれで楽しいのか!?」と思います。
だからこそ、もっと自分の独自性というか
個性を磨く必要があるのだと思うのです。

まずは自分自身の内なる声に耳を傾けましょう。
本当にこれでいいのか?と。
そして、「なぜそうなんだろう」ということを
その場面場面で論理的に考えてみることが大切なんだろうと思います。

一般的に常識とされていることでも
「なぜそうなんだろう?」
と考えることで実はおかしなことって、たくさんあります。
そうやって一つ一つに
「なぜ?」
というフィルターを通すことを習慣化していくのです。
とても面倒な人と思われるかもしれませんが。

でもそれが論理的に一本筋が通っていると、
それが「目からウロコ」なことであり、
「コロンブスの卵」であったりするのです。

業界の常識は世間の非常識

社会に飛び込んで仕事を始めると、
その業界ならではの「常識」というものがはびこっています。
それもそのまま受け入れるのではなく、
一度自らの思考フィルターを通すことが必要です。

私も税理士業界に身を置いているわけですが、
この業界にもよくわからない常識がたくさんあります。
おそらく皆さんの業界にもあるでしょう。
その業界にどっぷり漬かって、
同業者団体とかに長く身を置くと、
その業界の常識が知らず知らずのうちに体に染みついてします。
一度染みついてしまうと、なかなか剥がすことが難しい。

しかし、そうやって業界の常識に染められてしまうと、
どんどん横並びになってしまいます。
業界の当たり前を疑って、
「それが本当に当たり前のことなのか」
ということを思考してみてください。
きっとそこから個性が生まれ、
会社としての独自性へとつながっていくのだろうと思います。

そんな意味で、業界の異なる人からの意見は、
視点の違うところからのものですので、とてもありがたいです。
全てを真に受けることは危険ですが、
「それは外部の人だから言えるんだよ」と無自覚に一蹴するのではなく、
一度自分なりに冷静に受け止めてみることも大切です。

常識は疑うものであって、逆らうものではない

しかし常識を疑う一方で、
「なぜその常識ができあがっているのだろう?」
と考える必要もあります。

その常識があるからには、
その常識が出来上がるまでの過程がきっとあるはずです。

文化だってそうですよね。
長い歴史の中で積み重ねられてきたものを、
現代の論理だけで投げ捨ててしまって良いはずはありません。
そこには現代の切り口だけでは不足している、
もっと奥深い理由が存在するかもしれません。
それにそもそも人の世は、理屈だけで出上がっているような
無機質なものではありません。

「常識だから」といってそれと逆を行くのは
ただの天邪鬼です。

例えば、悪い意味で常識はずれなことをしている社員さんがいて、
それが周囲や会社そのものに迷惑をかけているとします。
それがあまりに「常識はずれ」だと、
「常識から考えて、それおかしいやろ」
と思わず指摘してしまいます。
それに対して
「常識を疑えっていってるじゃないですか!」
と反論されたら、
「疑えとは言ってるけど、逆らえとは言ってない」
と伝えましょう。
そのうえでなぜその行動がおかしなことなのか、
論理的に伝えることが必要なのだろうと思います。

「正しさ」なんてものは人それぞれ。
場所と場面によって違ってきます。
だからこそこんな場面でちゃんと社員さんに説明できるためには、
「この会社における正しさ」といったものが
きちんと定義づけされている必要があります。

まずは経営者自らが「なぜ」という思考を常に持ち、
一つ一つの事柄に対して
イチから論理的に考えるクセを身につけましょう。

その積み重ねが、ヨソには真似できない「違い」となり、
「独自性」へと育っていくのだろうと思います。

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