執着を捨てて、もっと自由になろう。

「こうあらねばならない」などというものは、
人生においてそんなにあるものではありません。
執着は大切でもありますが、もっと自由であってもいいかなと思います。

個人としての執着を捨てる。

私はかつて(10年以上前)、結構、
「こうあらねばらない」
「こうしなければならない」
という言葉を使っていました。

経営計画とかでも、
「10年後のあるべき姿」
などという表現でした。

結果として、疲れ果ててしまいました(笑)。

今は、
「どうありたいか」ということを大切にしていますし、
将来目標を設定するときにも、
「10年後のありたい姿」
という言葉に変わりました。

「執着」は人間にとってあまりいいものではありません。
こういう言い方をするときの「執着」の意味合いは、
人間の「欲望」的なニュアンスが多分に含まれているように思います。
しかし、
「こうあるべき」
というのも、一つの状態を頑なに守る、という意味では
執着と同じです。

金銭的なものや物欲的なものへの執着は、
それによって人生においてもっと大切なものを忘れてしまうことに
大きな問題があるわけですが、
「こうあるべき」も同じように、
そこに執着し過ぎて柔軟性を失うと、
その「あるべき姿」というものだけに囚われてしまい、
人生においてもっと大切なものをないがしろにしてしまいます。

そんな意味で「こうあるべき論」は、
物欲などと同じような危険性をはらんでいると
私は思っています。

経営者が陥りやすい、「べき論」

個人差はあるかと思うのですが、
少なくとも「べき」は私には向いていませんでした。

確かに経営者の果たすべき使命や責任とは
非常に大きなものです。
だからこそ経営に責任を持つためにも
「こうあるべき」というものを定めて、
自分に厳しく生きていく、という姿勢は
ある程度必要かもしれません。

しかし物事において大切なのはバランスです。
「こうあるべき」
「こうあらねばならない」
ばかりだと息が詰まってしまいます。

答えが一つではない経営というものの中に、
「あるべき論」のような一つの回答みたいなものを持ち込むのは
あまりいいことではありません。

経営者の考え方には、柔軟性が大切です。
これと決めたらそれを貫き通す、ということもいいことですが、
時には「本当にそうか?」と疑ってみること、
そしてそれをやめてしまうこともありでしょう。

刻一刻と変化する外部環境に対応する必要もありますし、
なによりも、経営者自身が自由に楽しんでいる状態になってはじめて、
経営者としての柔軟な発想が生まれるように思います。
そして日々のゆとりがあってこそ、
そこに面白い・新しいアイデアが宿るのだと思います。

会社としての執着から離れる。

会社は人の集合体です。
そんな意味で組織も結局は人と同じです。

ある一つの事柄や状態に執着すると、
その執着したものに囚われてしまって、
その組織にとってもっと大切なものを忘れてしまいます。

人が執着から離れてもっと自由であった方がいいように、
組織も組織としての執着をなくすことは大切です。

だからといって、あらゆることに対して飽きっぽく、
すぐに投げ出してしまう、ということは、
これは明確な軸がなくてブレブレな状態になってしまっているだけです。

人も組織も、「これは大切に守らなければ」という
軸のようなものは必要です。
そのうえでもっと自由であることを意識しましょう。

これが「不易流行」です。
変えてはいけないものと、変わるもの。
会社にとって、何が変えてはいけないものかということが
ちゃんと定義づけされていれば、
それ以外の部分は変わっていいのです。

そしてその「変えてはいけないもの」すら、
長い年月を経ることで「変えてもいいもの」となることがあります。

経営理念・社訓などというものは、
どちらかというと「不易」なものでしょう。
しかしこれらも時代が変われば変化する可能性は十分あります。

経営理念だから、絶対に変えてはいけない、
などと考えず、
今の経営理念が果たして今の環境に照らして、
適切なものなのか、たまには検証するのもいいでしょう。

しかしやはりこれは会社にとっての大切な軸ですので、
コロコロと変化させるものでもありません。
変えるからにはそれは、その会社の大転換期、と捉えて、
覚悟を持って変更しましょう。

いずれにしても、
「絶対にこうあるべき」というものは美しいようにみえて
ときにはそれは執着であり、
融通の効かない、人から自由を奪ってしまうものです。
経営に自由を取り戻すために、
過度な執着からは離れる意識を持つようにしましょう。

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