「天は自ら助くる者を助く」を2通りで解釈する。

皆さんご存じ、「天は自ら助くる者を助く」。
これを2つの意味で理解するととてもうまくいく、というのを何かの本で知って、
なるほどなぁと思いました。

「自助論」。

この「天は自ら助くる者を助く」という言葉ですが、
サミュエル・スマイルズの「自助論」という本にかかれている
一節です。

自己啓発本の古典であり、名著です。

この言葉自体をご存じの方は多いでしょうが、
実際にこの本を最初から最後まで読んだ方は
そんなにおられないかと思います。

流石に歴史の波に洗われて今も読み継がれるロングセラー。
少し大変かもしれませんが、
一度だけでも結構ですので、ぜひ通読いただきたいと思います。

根性論と紙一重

さて、この「天は自ら助くる者を助く」という言葉、
いわゆる「自助」の精神を問うたものです。

自助とは、自分で自分の身を助ける、ということですから、
要は自ら自分のために努力をすること。
そんな努力を積み重ねて初めて、天は助けてくれるのだ、
ということですね。

「神は助けるに値する者だけを助ける」のです。

当然と言えば当然のことです。
なんの努力をすることなく、
ただ人に助けられるのを待っているだけで
成果を得られるほど世の中はうまくできていません。

たまにこの「自助」という言葉を聞いて、
「じゃあ、そんな努力すらできない境遇におかれた人はどうなってもいいということですか」
という行き過ぎたことを主張する人がおられますが、
自助というのは、人それぞれそのレベルは違って当然で、
その人のできる範囲でできることを、ということです。

ほんの少しでも何かできることがあるはずなのに、
全く自ら行動することなく、
当たり前に人が助けてくれると思っているような人を
誰も助けてあげたい思わないですよね。

それではここでいう「自助努力」とは、
どの程度のものを言うのでしょう?

自分が出来るギリギリ一杯の努力を力の限り尽くさないと、
成果はでないということなのか。
そんな風に考えてしまう人も当然のように一定数いて、
しかし、その行き着く先には「疲弊」しか見えません。

そんな意味でこの「自助」の精神は、
一歩間違える根性論となってしまいます。

もちろんそこまで自分を追い込むことが、
スマイルズの言う自助ではありません。

自分自身に、恵みを。

このように、基本的には
努力を積み重ねるほどに、成果は増していきますし、
少なくとも成果の出る可能性は高まります。
その努力の方向性が間違っていなければ、という注釈つきですが。

その意味で確かに、神は自ら助ける者を助けてくれます。

ただ、朝から晩までゴリゴリ自分を追い込んで努力をしても、
そこに創造的なものが生まれるとは思えません。

しかし事業を行うにあたっては、
そのような創造的なもの、
アーティスティックなもの、
ひらめきや、自由な発想や、豊かなアイデアが
必要です。

こういったものは、
ボーッともの思いに耽っていたり、
ブラッと町を歩いてみたり、
素敵な食事をしてみたり、
美術館に足を運んでみたり、
そんな時に生まれるものだと思います。

そして、そういった機会を持つことが
気持ちに余裕が生まれることにつながり、
心に栄養が行き渡ることで、
思いもしないアイデアが頭の中に降りてきます。

どんな些細なことでも、
自分自身に親切にするよう心がける中から
それらは生まれて来ます。

このように考えると、
「天は自ら助くるものを助く」という言葉は、
全く違った意味を帯びてきます。
自分自身に対して恵みをもたらそうとする者に、
天はさまざまな贈り物をくれるのです。

ぜひ、自分の心に栄養を与える機会をもちましょう。
そうした心のゆとりと何気ない自由なインプットが、
新しい発想の源となります。

「楽にやる」「楽しくやる」ということが、
創造性を生み出す鍵となります。

神に助けてもらうに値する人であるとともに、
神からのメッセージを受け取れる、ゆとりと感度を持った人でありたいものです。

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