合理的であることは、正しいのか。

最近、効率的かどうか、合理的かどうかといった、
いわゆる「左脳的」な発想での経営思考の話しをよく耳にします。
さてそれは本当に正しいのでしょうか?

合理性は100%ではない

私も基本的にロジカルな考え方が好きですから、
合理性を追求して、効率性を高めていくことは大好きです
(一方で非合理的なものも好きですが)。

基本、経営には合理性が求められます。
それが事業であるからには、
利益を出さないことには継続できませんから。

経営は、可能な限り競争のない、独自性で勝負をすべきですが、
自分だけの完全な独自世界を構築することは
ほぼ不可能ですから、
少なからず何らかの競争にさらされます。

従って、合理性を追求すること、
より効率的であることが求められるのです。

しかし合理性には落とし穴があります。
どんなことでも多くの場合、
その「合理性」、というのは特定の方向から見た場合に限られるのです。

例えば原子力発電所は
海の近くに設置するのがどう考えても合理的ですよね。
冷却のために大量の水を必要としますから。

しかし、津波の被害ということを考えると、
合理的ではありません。

経営に関して言えば、
かつて成果連動の給与体系がもてはやされた時代がありました。
成果をあげるほど給与があがるので、
それがインセンティブとなってみんな頑張ったからです。

会社としても人件費が上がったとしても売上が増えるわけですし、
給与が低い人は成果をあげていない人なので、
給与が低いことを理由に退職されても
それほどダメージはありません。

こう考えるととても合理的なように見えますが、実際は、
同じ会社内で自分の成果ばかり気にするようになって、
組織のために必要でも成果につながらない仕事をやらなくなり、
また人間関係がギスギスして、
モチベーションが下がる結果にもつながりました。

このように一見合理的に見えても、
その見る角度が変わると、
まったく合理的ではなくなります。

これは極端な例かもしれませんが、
どんなことでもその捉え方によっては
99%合理的でも1%は合理的でない可能性がある、
ということです。

常に謙虚であるべし

それでは合理的であることを目指さない方がいいのかというと、
決してそんなわけではないですよね。

問題はその「一つの合理性」に固執して、
「実はそうでもない」という部分が見えたときにも、
それを見なかったことにして、
自身の考える合理性こそが一番だと思い込んで
その道を突っ走ってしまうことにあります。

その結果として、大きな事故につながってしまったり、
社内に大きな問題を抱えることになってしまったりするのです。

ここで必要なのは、
謙虚である、ということと、
柔軟である、ということ。

合理的と考えることは悪いことでもなんでもなく、
大切なことです。

ただその合理性に欠落している部分があることがわかったら、
それからすぐに
変更するなり、
改善するなり、
止めるなり、
すればいいのです。

そうして補正を積み重ねていけば、
その合理性の確度は徐々にあがっていって、
限りなく100%に近づいていくのだろうと思います。

やってみないとわからない。

先ほど書いたとおり、合理性というのはどんなものでも、
別の視点からみれば非合理な可能性があります。

それでは実際に行動する前から、
その手法に非合理な見方がないか、
徹底的に考え尽くす必要があるかというと、
決してそういうわけではありません。

もちろん致命的な欠陥がないかの確認は必要ですし、
ちょっと考えれば最初からわかるだろうことは
事前に押さえて置く必要があるでしょう。

しかし、最初から限りなく100%に近いものを、
という考え方でいると、
いつまでたっても、物事が実行されません。

人間の想像力は、人によって程度の差はありますが、
それほどパーフェクトなものではありません。
ですから実際にやってみないことにはわからないのです。

そして実行する前に考えすぎると、
とにかくスピード感を欠くことになります。
経営において、スピードというのは
とても大切な要素です。

大きな問題・致命的な欠陥がないのであれば、
とりあえず始めてみて走りながら考える、
そしてどうしようもなかったらやめればいいこと。
それによって会社がつぶれてしまうようでは困りますが、
そうでなければ、
たくさんトライして、
たくさん失敗して、
たくさん改善した方が、
より早く正解(またはその近く)にたどり着けるのです。

合理的に、ロジカルに、効率的に、
しかし柔軟に、スピード感をもって。

それが経営者に求められる資質だろうと思います。

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