【バックナンバー】悔いなく生きるとは。

今日、WBCの準決勝、「日本VSメキシコ」を朝からテレビで観戦してました。
見た方にはわかってもらえると思いますが、これは歴史に残る試合でしたね。
あまり時間的余裕がない中でも、タイムリーに見れてよかったです。
野球見て、喜びで叫んだのは、2008年のWBC以来ですw。
勇気をもらうと共に、「ああ、悔いのない人生にしたいなぁ」と感じたので、
今日はこのバックナンバーを。

----以下2021/11/23の記事より転載(一部改訂)----

改めて考えさせられる、「悔いなく生きる」とはどういうことか。
偉そうなことを書いていますが、自戒も込めて、ということで。

まずは健康であること

40代も後半になってくると、
わりと身近な人で年齢の近い人の突然死を聞かされることが増えてきたように思います。
そのたびに
「自分が明日も当然のように生きているということを前提にするのはやめよう」
と心に誓います。
たとえ突然死ではなくとも、今自分が死んでしまうことで、
どれだけの人たちに影響を与えてしまうことになるのか。
どれだけの人たちを悲しませてしまうのか。
それを思うと、
「生きなければ」
と強く思うのです。

だからこそ日々の健康がまずは大切なのだなと考えさせられます。
いかに健康な状態を維持するか。
これは経営者として
そして子を持つ親として、最も重大な責務ですね。
さらには、まだ存命の自身の両親を悲しませないためにも。

悔いなく生きることの3分類

しかし、どれだけ健康を意識しようとも、
「死」は突然自分の身に降りかかってくる可能性はあります。
どれだけ健康な人でも、心臓発作にもなりますし、
脳卒中にもなります。
こちらの責任ではない交通事故だって十分にあり得る。
年齢の近い人の死を聞かされるたびに、
「毎日を大切に生きよう」と思うわけですが、
本当はこんなときだけでなく
常日頃からこういう意識を持つことが大切なのでしょう。

だからこそ、悔いのない生き方をしないといけないな、と思います。
そして悔いのない生き方とは、どういうことなのか、
考えさせられます。
それは、
「今しかできないことを、やる」
「やりたいことを、やる」
「やらなければよかった、ということをなくす」
この3つに大別されるのかな、と思います。

今しかできないことを、やる

これは、「家族をもつ者」としての心境ですね。
もし今、死んでしまって、
霊魂としてそれを悲しんでいる家族や子供たちが見えるとしたら、
なぜ、もっと一緒に遊んでやらなかったんだろう、とか
なぜもっと妻を大切にしてあげられなかったんだろう、
とか絶対に感じるだろうと思います。
それが想像できるのであれば、
やはり今しかないこの時間、
もっと家族を大切にしてあげないといけないなと思います。

今しかできない、ということですから、
もし生きていたとしても後悔の元となってしまうもの。
だからこそこれは、
私にとって最優先とすべき、ということを改めて確信しました。

正直な話し、仕事は日々ちゃんとやっているつもりですから、
仕事に関してはおそらくこういった心境にはならないんじゃないかと思います。

やりたいことを、やる

死んでしまった後に、それがプライベートであれ仕事であれ、
「ああ、あれやりたかったなぁ」
ということはできるだけ少なくしておきたいものです。

やろうと思っていたけれど一歩踏み出せなかったこと、
やりたかったけれど、つい後回しになってしまったこと。
生きている間にしかできないという意味では、
これも「今しかできないこと」。

自分が死んだときのことを想像して、
「ああ、やっておけばよかった!」
ということになるだろうと感じるものは、
トライする価値があるんだろうなと、思います。
いつ死んでも、「ああ、人生、やりきったなぁ」と思える人生にしたいものです。

やらなければよかった、ということをなくす

スティーブ・ジョブズの有名な言葉に
「もし今日が人生最後の日だとしたら、
 私は今日やろうとしたことを本当にやりたいだろうか」
というものがあります。

時間は有限です。
だからこそ、「無駄」なことはしたくないなぁ、と思います。
日々何気なく生きていると、
本当に無駄なことばかりやってしまってるなと思います。
死んでなくても、後から振り返って、
「なんであんなことに時間使ってしまったんやろ」
と思うことはたくさんあります。

スティーブ・ジョブズは結局働きすぎで早くに死んでしまうわけですから、
彼の生き方や考え方をそのまま真に受けてしまうのはどうかと思うのですが、
「自分にとって意味のあること」で、人生を埋め尽くしていきたいな、
と思います。

「悔いなく」とは、忙しくすることではない。

こうやって「悔いのない人生」ということを考えると
人間ついつい、
自分の人生の中に、いろんなものをねじ込んでしまいそうになります。
前節で「無駄」なことはしたくない、と書きましたが、
この「無駄」という言葉は、
自分にとって本当に不要な「無駄」であって、
以前、このブログで書いたような「無駄」は
決して本当の無駄ではありません。

『悔いなく生きる』
ということと、
『生き急ぐ』
というのは全く異なるものです。
ですが、非常に危険なことに、この両者は極めて近いところに存在するように思います。
「やりたいこと」で埋め尽くしてしまう人生が、
果たして自分の生きたい人生なのか。

「やりたいこと」は「生きたい人生」のうちの一部に過ぎません。
人生も「全体最適」。
「やりたいこと」が、全てできるわけではありません。
だからこそ「やりたいこと」の中から、
「本当にそれはやりたいことなのか」という取捨選択を行って、
優先順位をつける必要があります。

ゆったりする時間も必要でしょう。
ぐーたらする時間も大切でしょう。
それらから生まれてくる「豊かさ」を十分に感じられる人生こそが、
少なくとも私にとっての「生きたい人生」です。

こうした「必要な無駄」。
それらをキチンと受け止めて、
ちゃんと人生に組み込んで、
自分自身の全体最適な人生を歩んでいきたいなと思います。

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