死ぬも生きるも紙一重

人間、いつ死ぬかわかりません。
それだけは意識しながら日々の生活を送りたいものです。

スズキの若魚、セイゴ。彼もこんなに若くして命を絶たれると思っていなかったでしょう。

三度の紙一重。

ちょっと大げさかもしれませんが、
これまでの人生で、
「一歩間違えたら死んでたな」、
という経験を3回くらいしています。

その1
4歳の時に道に飛び出して自転車にはねられ、
橋の金属の欄干で頭を強打して、
頭蓋骨骨折。
小さい頃なのであまり記憶にありませんが、
打ち所が悪ければ、
きっと危なかっただろうと思います。

その2
小学生(4年か5年くらい?)のとき、
ドーベルマンに襲われる(追いかけられる)。
どういう訳か、飼い主は周囲にいませんでした。
走って逃げながら「これは、死ぬかも」と思いましたが、
2.5mほどの高さの堤防(ほぼ直角)を滑り降り、
事なきを得ました。
「絶壁」に近い堤防ですが、
日頃鬼ごっこで登ったり降りたりを繰り返していたため、
その技術がこんなところで活きました。

その3
中学生のとき、自転車に乗っていてバランスを崩し、
車道側に転倒。
車道を走っていた車が急ブレーキをかけて、
私の顔の前50cm~1mほどのところで止まりました。
私も死んだかと思いましたが、
運転手も轢いたかと覚悟したんじゃないかと思います。
転倒が0.5秒遅かったら、
頭を撥ねられて、多分死んでます。

そんなこんなで、おかげさまで今でも生き延びています。

経験したときは
「危なかったー」
くらいにしか思っていませんでしたが、
大人になってから振り返ると、
本当に人の命って紙一重なんだなと考えさせられて、
ぞっとします。

つくづく自分は運がいいな、と思う次第でもあります。

いつ死んでもおかしくはない。

そんな経験から、
人間いつ死んでもおかしくないと、
本当に思っています。

例えば車を運転していて、自分が悪くないとしても、
向かいの車が突っ込んでくることもあるわけですから、
これは回避することが不可能です。
完全に運しだい。

ですが、基本的に人は、
そういった事故や事件をニュースなどで見聞きすることがあっても、どこかで
「それは自分には起こらないこと」
と思っているフシがありますよね。

しかし、そんなことはありません。

人間いつでも死ぬ可能性がありますし、
逆に今まで普通に生きてこられたことが当たり前なのではなく、
ラッキーだったのだと思っているくらいでちょうどいいんじゃないか、
と思っています。

こう言っている私も明日の朝目覚めることなく、
これが最後のブログになる可能性だってあるんです。

相続対策の仕事をしていると、
ホントみなさん自分が死ぬと思っていないことに驚かされます。
75歳くらいの人ですら、
自分はまだまだ大丈夫と思っていらっしゃる。
そりゃ大丈夫なのかもしれませんが、
大丈夫じゃなくなってからだと遅いから言ってるんですよ、
って感じです。

いい人生だったと思えるように。

自分に何かあったとき、
残された人たちのために備えておくということは、とても大切です。

そして、残された人視点も大切なことですが、
自分視点で考えたときには、
ある時いきなり命が断たれることがあったとしても、そのときに、
「ああ、いい人生だったなぁ」
と思えるようにしておきたいですよね。

急に人生が断たれると、
もちろん着手中のものがそこで放置されることになりますから、
心残りのない人生というのは難しいだろうと思います。

しかし心残りがあるとしても、
できる限り後悔のない人生を送りたいな、
という思いはあります。

イチローが引退の際、質疑で記者から
「後悔していることはありませんか」と訊かれて、

「後悔など、あろうはずがない」

と答えたのが、とても心に残っています。
こんな人生歩みたいな、と。

しかし後悔のない人生、というのは、いろんな意味で難しい。

後悔がないようにするためには、後から振り返って、
「こんなことをしておけばよかった」
とか
「あんなことするんじゃなかった」
とか
いう思いがないということです。

だから、
やりたいけれども、億劫でなかなか手をつけなかったことがあれば、
それは思いっきり後悔の対象となります。

そして毎日一生懸命生きていたとしても、
息抜きに日がな一日ボーっとする日があったということも
あとから振り返って、
「なんであんなことやってたんだろう」
という後悔の対象になるかもしれません。

しかし人間そこまでストイックに生きていると、
その方が人生として楽しくないでしょうし、
息抜きがあってこその充実した人生ですから、
「後悔がない人生」というものを考えるときに、
「徹底的にストイックに生きる」という解釈は
しないようにしなければいけません。

それが自然に出来る人はそれで良いと思いますが。

いずれにしても、
「自分にとって、後悔しない人生とは」
これをちゃんと自分なりに定義付けて、
出来る限りそれに沿った人生を歩んでいきたいものです。

やはり、死ぬ間際に後悔はしたくありませんから。

でもその私なりの「後悔しない人生」の定義は、
昔でしたら極めてストイックなことになってたでしょうが、
今は、割と休憩だらけの
ゆるい定義づけになるように思います。
逆に今は、そのゆるさが実現できていない方の
問題があるように思います。

より自分にとっての後悔なき人生に近づくよう、
今の生活パターンを変化させていく工夫が必要だなと
感じた一日でしたので、
今日はこんなテーマのブログでした。

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