出会いを大切に。

先日とても面白い出会いがありました。
そして出会いというものは、
本当に偶然が折り重なって生まれるものなのだということを
実感する1日でした。
そこで今回は「出会い」について。

3匹の出会い。

出会いは「偶然」と「思い」の結晶

当社の本拠は奈良県奈良市にありますが、
京都府の京丹後市にも拠点があります。
あらたな事業の拠点でもあり、福利厚生施設でもあり、
将来その地域の人と共に語らえる場になれば、
とも思っています。

導入部分で書かせていただいた出会いは、
ある日私の友人でもある私の顧問先といっしょに
この京丹後市の拠点に訪れたのがきっかけです。

この地域もご多分にもれず高齢化と過疎化が進んでおり、
一定の産業(漁業)はあるもののそれに関わる人たちはとても高齢で、
結果として極めて保守的で、
せっかくの地域資源がまったく生かされていないと感じられる場所です。

今回出会った彼(Aさん、とします)は24歳。
私の半分くらいの年齢です。
つい先日鮮魚店をオープンしたばかりだったのですが、
「この漁港であがった魚を、地域の隅々に行きわたらせたい」
「この地域の美味しい魚をもっと世の中に広めたい」
という思いに溢れた若者でした。
そして多くの若者と同様に
「めっちゃ儲けたい」という野心にも溢れていました(笑)。

Aさんとの出会いを振り返ったときに、
「もしあれがなかったら、これがなかったら・・」と、
そこに至るまでの「奇遇」の数を数えてみると、
軽く4つくらいの奇遇の先に、
そのAさんとの出会いがあったのです。
このどれか一つがかけてもなかなか難しかっただろうと思います。

もちろん私が、
「この地域に深く入り込めるきっかけになるような人と知り合いになれんかな」
と常にアンテナを張っていたことも大切な要素です。
ただ待つのではなく、アンテナを常に張り続けて、
何か行動を起こしているからこそ、
この出会いにたどり着いたとも言えます。

というか、まずこれが前提条件と言っても過言ではありません。
こちらから求めていない出会いはない。
もしあったとしても、それは深い関係にはつながらない。
そんな意味で、出会いは「偶然」と「思い」の結晶なのです。

その深まりもまた偶然

今回のAさんとの出会いは、その直後から一気に深まりました。
私たちがAさんの店に顔を出し、
まだ店はオープン時間ではありませんでしたが、
奥からAさんは出てきました。
「まだ開店前なんですよー」
「どこからこられたんですか?奈良ですか!」
「こっちに拠点あるんですか!すごいっすねぇ」
「今日、仕事終わったら、彼女と一緒に行っていいですか?!」
ってことで、いきなりAさんは彼女と二人でその日の晩8時くらいにやって来て、
私、友人、Aさん、その彼女、で午前1時まで呑んで騒いでましたw。

こうやって一気に彼との距離が縮まり、
「また奈良行きますねー」
「またこっち来るときは、刺身盛り用意しますんで、事前に言ってくださいね!」
という感じになりました。
一瞬でここまでの関係になれたのも、すごい偶然だなと。
これについても、
そこに至るまでの「奇遇」の数を数えてみました。
これまた4つくらいを奇遇を乗り越えてこの関係にいたります。
そのどれ一つが欠けても、ひょっとしたら
単なる「一人の客と鮮魚店の店長の関係」
で終わってしまっていたかもしれません。

ここでもやはり、私自身が
「いずれ地域に深く入り込みたい」と思っていなければ、
この関係にはたどり着かなかったと思うのです。
人と出会うのも「偶然と思いの結晶」であれば、
その関係が深まっていくのもまた「偶然と思いの結晶」なんだなぁと。

大切だからこそ、選ぶ

こうした出会いの不思議さを思うと、
その出会いの一つ一つを本当に大切にしなければいけないな、
と思います。
これまでの自分を振り返ったとき、
結構おざなりにしてきたなぁと反省すべきこともたくさんあります。

しかし一方で、
その全員との関係をすべて大切になんてできないなぁ、
とも思います。
私の人生のテーマでもある、
「時間は有限である」ということ。
それを考えると私一人の身で大切にできる人数は限られてくるのです。
だからこそ、
本当に大切にすべき関係を大切にしたいと思います。
極端な言い方をすると、
どうでもいい人と関わっている時間はお互いもったいないな、
と思います。
当然こちらから縁を切るようなことはしません
(相手に下心やこちらへの害意がある場合を除く)
そのうえで自然と離れていく人や
不義理な人と付き合う必要はないな、と。

友を選ぶということは、人の人生を考えたときに、
本当に大切なことなんだな。
そんなことを改めて考えさせられるところまでに至る、
不思議な出会いでした。

新しい出会いに、感謝。

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