私の好きなマンガの一つに、
「図書館の大魔術師」というものがあります。
その中に表題の言葉が出てきてハッとさせられましたので、今日はそれについて。
人は終わりを認識すると怠ける
次のような実験があります。
・1回目はA地点に旗を立ててそこまで全力で被験者に走ってもらう。
・2回目はA地点より少し先に旗を立ててまた全力で走ってもらう。
・2回目も被験者には内緒で、A地点と同じ場所で記録を測定。
その結果はどうなるかというと、
多くの場合、2回目の方がいい記録がでやすいそうです。
さてそれでは、その理由は何でしょう?
おそらく一般的な回答は
「目標を遠くに置いた方が力がでる」
ということになるのだろうと思います。
しかし問題は、
なぜその方が力が出るのか、
ということですね。
どうやら人の脳は、ゴールを認識すると、
意識下で怠けるようにできているようです。
「もうすぐ終点」とか
「もうすぐできる」と認識すると、
「力が抜け、思考が鈍化し、意欲が失せる」
そうです。
どうしてこんなことになってしまうのかというと、
人は本能的に、
緊急時に備えて体力を温存しようとして
もう終わりが見えるとそこに力を注ぐよりも、
次に備える性質がある、
とのことでした。
なるほど。
日常生活での体験
この事例は日常生活の中に心当たりがたくさんあって、
今こうやって書いているブログでも、
「もうすぐ書き終わる!」
となったところから、急激に集中力が失われていきます。
内容を書ききって、
最後Wordpressにアップするまでがブログですが、
「もうほとんど書けたし、あとは今日の仕事終わってからにしようかな」
とか
「Wordpressにアップするのは、夜でもいいかな」
とか
そんな思いが頭をよぎります。
そして本当にそうしてしまうことが、実際にあります。
そのままやりきってしまった方が
圧倒的に効率はいいんですが。
最近サムネイル写真をあげられていないのは、
そこに力を注ぐよりもやりたいことがたくさんある、
ということもそうですが、
この
「終点が見えると怠けてしまう」
という性質によるものでもあります。すいません(笑)。
もう一つの事例が、私、日曜大工が趣味なのですが、
これも作っているものが大作であればあるほど、
そのゴールが見えてきたら、
そこから急激にモチベーションが失われるのがわかります。
最後に怠けないようにするために
当然個人差があるとしても
これは人間の本能・性質ということなので、
基本的にはこれを回避するのは難しいと思うのですが、
何らかの方法でそうならないように
対策は打っておきたいものです。
特に、「自分はその傾向が強い」と感じる人ほどそうでしょう。
冒頭の
「なぜ2回目の方が早いのか」
の回答を
「遠くに目標を設定した方が力が出るから」
というところで留めてしまうと、
その解決方法は根性論になってしまいます。
その回答が人間の本能的なもの、性質的なもの、
というところまで分かれば、
「どのようにして、『まだ終着点は先にある』と自分の頭を錯覚させるか」
という技術的な話しに置き換えることができます。
そこで先ほどの「ブログの例」について、
次のような仮説を立ててみました。
「毎日ブログを書く」ということそのものを目的化してしまうと、
その日のブログの書き終わりがゴールなので
終盤気が緩みます。
ただ、このブログ目的は
「毎日ブログを書く」ということではなく、
発信の練習であり、頭の整理が大きな目的ですから、
言葉で話すかのように最後まで一気に書ききってしまわないと、
発信の練習にはなりません。
ということで、
ブログの本来の目的を達成するためには、
「最後まで一気に書ききる必要があって、それを日々積み重ねる必要がある」
と改めてブログの本質的な目的を認識することで、
最後の最後まで力を緩めることなく書ききることができるようになるんじゃないか。
この仮説でうまくいくかは全くわかりません。
でもとりあえずこれでやってみて、
最後までモチベーションが落ちないかしばらく試してみようと思います。
本能のままでも良い
とは言っても、この性質は、
人間がその進化の中で作り上げてきた本能です。
思考の体力を温存しているということですので、
自分の脳をだますようなことを繰り返して本能を抑え込むことは、
脳にとってストレスでしかないはずです。
ですから、
終盤で力がゆるんだり、
集中力が落ちたり、
モチベーションが下がったときに、
いつもいつもそれを振り払って突き進むことは
あまり良いことではないように思うのです。
体力を温存させようとしているのであれば、
たまには本能にしたがって温存してあげる。
そして、
終盤で怠けてしまうのは、自分の意志が弱いのではなく、本能だ。
だからしょうがない。
そんな寛容さもときには必要なんじゃないかと思います。