乱君ありて乱国なし。

「乱君ありて乱国なし」
これは経営者にとって、なかなか痛いところを突かれた言葉だと思います。

器からあふれる限界ギリギリ。

言葉の意味と出典

タイトルの言葉は、中国古典である「荀子」に登場する一節です。
「国が乱れるのは、乱す君主がいるからであって、国自体が勝手に乱れるわけではない」
という意味です。

乱れている国があったとします。
産業が発展することもなく、そこに住んでいる民は疲弊しており、
でも官僚の間では賄賂が横行しているような。

それはそんな国がもともとあったわけでもないし、
自然とそんな国になったわけではありません。
そんな国を作ってしまった君主がそこにいて、
その君主自身に問題があるのだ、
ということです。

経営者におきかえると

もう10年以上前だと思いますが、
経営コンサルタントの小山昇氏が講演で、
「世の中に良い会社、悪い会社があるんじゃないの。
 良い経営者、悪い経営者がいるだけなの。」
と言っていたのがとても心に残っています。

これがまさに、先ほどの一節を経営者に置き換えて、
非常に端的に言い表していると思います。

その会社が良い会社になるも悪い会社になるも、
それはその会社の経営者次第。

特に小零細企業では、経営者が100%です。

あれが悪い、これが悪いと言い訳したくなる気持ちもあるでしょうが、
すべて経営者自身の問題と捉えるべきですし、
その方が前向きです。

会社の業績が悪化した際に、
その責任が経営者でなくそれ以外なのであれば、
その会社は何をしても落ちていくしかないわけですが、
経営者の責任なのであれば、
経営者が考え方や行動(もしくはその両方)を改めれば
会社は回復する余地が充分にある、ということですから。

この2年あまりのコロナ禍のように、
外部環境で一時的に大変なことになることはもちろんあります。
しかし、こんなことが起きても会社の屋台骨が傾かないような会社もあります。
それはそういった財務体質の会社を作り上げてきた経営者の力でしょう。
そして、こんな逆境でも売上を持ちこたえさせている会社もあります。
これも経営者の営業力・販売力・マーケティング力です。

「うちには良い人材が入ってこない」というグチをよく聞かされますが、
これは完全に責任転嫁です。
なぜ同業他社にはいい人が入ってきて、自社にはいい人が入ってこないのか、
経営者自身が我が身と我が社を振り返ってみましょう。

それを人の責任と捉えている間は、いい人が入ってくることはありませんし、
自分の責任と受け止めたとき初めて何がしかの改善が始まって、
徐々に会社が変わっていくのだろうと思います。

規模感を間違えると、良い経営者も悪い経営者になる。

このブログでも何度かお話しをしておりますが、
それぞれの事業・会社には、
「適正規模」というものが存在します。

会社の規模は大きければ大きいほど良い、
というものではありません。
ドラッカーも
「最大であるよりも最良であること」
と唱えています。

この適正規模を決める要素は、
業種・業態
経営者の考え方
経営者の器
など、いろいろあります。

このうち「経営者の器」というのはとても大切で、
その経営者が良い会社として維持できるサイズは、
その経営者の器で決まっています。

よく「会社はその社長の器以上に大きくはならない」と言われます。
「小さい会社は社長の器が小さいから、しっかり勉強して社長の器を大きくしろ!」
というのが経営者向けの自己啓発系研修などで言われることではありますが、
現実的にそれには限界があります。

むしろその影響を受けて頑張って、
自分の器が大きくなったと勘違いすることの方が弊害があります。
その社長の器を超えて会社を大きくしようとしてしまいますから、
あるとき、一気に瓦解してしまう危険があるのです。

器が小さい自分を知って、
これを少しでも大きくしていこう、ということは
とても素晴らしいことだと思います。

しかしそれと同じくらい、
自分の器の大きさを正しく理解して、
その範囲内で良い会社を作ることも素晴らしいことだと思います。

ある経営者が他の「自分の器の範囲で、良い会社を作っている人」よりも
会社規模を大きくしているとしても、
それがその経営者自身の器を超えてしまってボロボロの会社になっているならば、
そこで働いている人たちもきっと不幸でしょうし、
それは正しいあり方であるとは思えません。

ですから、自分が「良い社長」でいられる会社のあり方というのを意識して、
会社を作っていきましょう。
最大であることが偉いわけではありません。
むしろ分をわきまえて最良のものを作り上げている方が、
ずっと偉いと思うのです。

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