年齢を言い訳にしない。

何百年経っても、そこに立っている。

私も気がつけば今年で48歳。アラフィフです。
これからもずっと、年齢を言い訳にすることなく生きていきたいなと思います。

年齢を言い訳すると成長がとまる。

人間、必ず老化します。
これは生物である以上、避けられないことです
(中には老化しない生物もいるそうですが)。

そして私も50歳近くなってきました。
体力的には若い頃に比べてどうしようもないですし、
どうしても老眼になってきますが、
新しいものを取り入れる柔軟性や、
頭脳の働き自体は、
まだ衰えが来ていると思ったことはありません。

「もう年取ったから無理だわー」
というコトバは、
体力的な局面ではともかくとして、
頭脳的な意味合いでは
絶対に使わないようにしています。

なぜかというと、そのコトバを口にした瞬間から
自分の成長が止まってしまうように思うからです。

というか、実際にとまります。

人間、年をとると物忘れが激しくなるといいますが、
これも年齢によって脳の機能が衰えているのではなくて、
これまでの人生で積み重ねた記憶でいっぱいになってしまって、
新しい記憶の入る隙間が減ってきているから、
ということを聞いたことがあります。

だから、真剣にインプットするつもりのないものは、
確かに昔より頭に入りにくいかもしれませんが、
本当に覚えたいものはちゃんと覚えられます。
その分、昔に得たもののうち、
今となっては不要なものから、
どんどん忘れていっているように思います。

「インプットしよう!」という強い思いがあれば、
おそらく自然と使わないものを忘れていくように
人間の頭はできているようです。
だから、「年を取ってもモノを覚える」ということも
訓練なんでしょう。
「古いモノを忘れて新しいモノを覚える訓練」です。

『年だから新しいことを覚えられない』ということは、
こういった訓練の放棄ですから、
成長が止まってしまうのは、当たり前ですよね。

常に最新のものを追いかける。

ですから私は、
最新のものに常をアンテナをはり、
多少無理してでも最新のもの(またはそれに近いもの)を
取り入れるようにしています。

以前のブログでも書きましたが、
自分の車については、
もったいないので乗り潰す気持ちでいつまでも同じ車に乗り続けますが、
スマホなどは、世代の間が空きすぎると
ついていけなくなってしまう恐れがありますので、
比較的短期間で買換えしていくようにしています。

直接仕事に関係がないだろうものについても、
それがどんなカタチで将来の仕事につながるかわかりませんから、
とりあえず、手の届く範囲のものであれば、
チャレンジすることが大切。

しかし単に新しい物好き、ということではありませんし、
本当に最新のものの中には、
出てきても定着せず消えていくものも多いですから、
極端に最新ではなく、そこより1歩遅れたところくらいを追走する気持ちで
走っています。

「これは世の中に定着するものだ」
と見極めてから参入するようにしている、ということですね。
なんでもかんでも飛びついていると、お金も時間ももったいないですから。

すぐに消えゆく流行に振り回されるつもりは、
全くありません。

テレビとかほとんど見ないので、むしろ流行については、
「そんなことも知らないの?」
という感じです。

しかし、いわゆる「流行」は
世の中に求められたり必要性があることで世の中に誕生するものではなく、
その流行を「流行にしよう」と考えている人が
流行らせているだけのものですから、
そんなものに触れなくても、なんら影響はありません。

本当に大切なものは、テレビの情報番組を見ていなくても、
自然と目に入りますし、耳に入るものだと思っています。
ただし、ちゃんとアンテナは張っていないと、
引っかかるモノも引っかかりませんけどね。

もう年だから、という人と仕事をしたくない。

私自身がこういった考えを持っているものですから、
「もう年だから」
という人とは極力一緒に仕事をしたくありません。

本人からするとただ単に事実を述べている、
ということかもしれませんが、
「私は覚えることができませんから」とか
「私は新しいことはできませんから」とか
そういった予防線を無意識に張っているのです。

年齢による衰えがあるという事実は、
当然承知しています。
ですから、こちらも年齢相応のことは
当然あるだろうという前提で仕事上接していますし、
その想定でものごとを考えています。

ですから、何かあったときにこちらから
「もうお年ですからね、ムリしないでくださいね」
とこちらからいうことはあるとしても、
何かあったときに本人から
「私、もう年やから」
と言われると、それはちょっと違うな、と思って、
正直、少し残念な気分にさせられます。

それはちょうど、新入社員がミスをしたときに、
「すいません、私まだ1年目ですから」
と自ら言い訳しているのと変わらないのです。

そんな人に出会ったら、もちろん残念な気持ちになるのですが、一方で
「こんな年の取り方は、絶対にやめよう」
と改めて心に強く思うのです。

ちなみに、「あなたは若いから」と言われるのも
あまり好きではありません。
明確に褒め言葉であるならば、もちろん良いですが、
そうでない場合には、
「若いから、なんやねん」
「自分は年をとってるから、なんやねん」
と思ってしまいます。
まだまだ、人間の器が小さいのです(笑)。

私も年をとると、必ず衰える日がきます。
たしかにその衰えは年齢によるものであることは事実でしょう。
しかしそれを仕事ができない言い訳とするのではなく、
自分は今、それだけの能力しかもっていない人間であると受け入れて、
それだけの能力しかない人間であると受け止められてしょうがないと理解して、
その能力の範疇で、できる限りのことをやっていくのだ、
という意識でもって
仕事をしていく。
そんな年の取り方をしていきたいな、と思うのです。

そして、関係のない雑学ですが、
生き物の「老化」と「死」は、進化の過程でわざわざ手に入れた、
生き物の能力だそうです。
単細胞生物はいくら分裂しても劣化していかないことから考えても、
老化というものが必ずしも避けられないというものではないのです。
生き物が種の保存をしていくためには、
老化と死というものが、
どうやら必要だったということ。
興味がある方は、ぜひ各自調べてみてください。

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