経営者にとって、No.2はとても大切。~豊臣秀長に学ぶ

今日お話しするのは、「豊臣秀長」という人について、です。
豊臣秀吉ではありません。「秀長」です。

『豊臣秀長~ある補佐役の生涯』

私が好きな堺屋太一氏の歴史小説で、
「豊臣秀長~ある補佐役の生涯」という本があります。

経営者が自社のNo.2のあり方を考えるときや、
実際に組織のNo.2を担うような立場の方には本当にオススメですので、
これまでもいろんな人に読んでもらっています。

いろんな人に貸して、そのまま戻ってこないこともあるので、
もう2回くらい購入しなおしています。
そして今探してみたら、またみつかりませんでした。
今度は誰の元に行ってるのやら(笑)。

いずれにしても、その方の経営に生きていればそれで良し、ということで。
次は紛失のないよう、電子書籍で購入しようと思います。

ちなみにこの本はかつて、『秀吉』『鬼と人と』とともに、
NHK大河ドラマ「秀吉」の原作ともなっています。
「鬼と人と」については、以前このブログでも取り上げました。

豊臣秀長ってどんな人?

まず、この豊臣秀長という人、おそらく多くの人がご存じないことかと思うのですが、
誰もが知っている豊臣秀吉の弟です。
そしてこの本の中でも何度も語られる通り、
決して表舞台には上がって来ることなく、
生涯「一補佐役」「裏方」という役割に徹した方です。

最終的には大納言という地位にのぼり、
石高も110万石余りということで、
地位・石高ともに当時の徳川家康を超える、
名実ともに豊臣政権の元でのNo.2です。

それだけの実力と地位をもちながらもほとんどの実績が知られておらず、
極めてマイナーな存在であることからも、
どれだけ彼が「裏方」に徹したのかということがわかります。

誰もが知っている通り、秀吉は一農民から天下統一まで登り詰めるという、
大成功者の象徴のような人です。
そんな秀吉ですが、晩年は千利休を切腹させたり、朝鮮出兵したり、
一度跡継ぎと定めた秀次をこれまた切腹させたりと、
歯止めが利かない形で相当にいろんなことをしでかして、
晩節を汚してしまっている印象です。

これら全ての事柄はすべて、
弟であり補佐役であった豊臣秀長が亡くなった後に発生しています。
そういった意味で秀長の存在によって豊臣政権は支えられており、
もし彼が秀吉よりも長生きしていれば
豊臣政権はおそらくもっと長く続いており、
全く違った歴史になっていたんじゃないかと思います。

経営者一人では、難しい。

小零細企業の経営者であっても、組織運営をしていく以上、
経営者としてやらなければいけない仕事は本当に多岐にわたります。

・どんな事業展開をするのか考えなければなりません。
・どのようにして商品・サービスを販売していくのか
・クレームに対する対応をどうするのか
・どんな組織を作り上げるのか
・組織や社員のそれぞれに、どんな役割を果たしてもらうのか
・社内で発生するトラブルをどう調整し解決するのか
・どんな投資をおこなって、それをいかに回収するのか
・そのための資金調達はどうするのか

今ここに挙げただけでも本当に大変なことですが、
これだけでもほんの一部に過ぎず、
会社を経営する上で考えるべき、行うべきことは、数え上げるとキリがありません。
ですから事業を拡大成長させていくにあたって、
これらのことをいつまでも経営者一人が行うわけにはいきませんし、
全く現実的ではありません。

そもそも売り上げをあげる力や、利益を出す力が欠けている会社は別にしまして、
売上をあげる力を持っている会社でもなかなか伸びていかないケースとして
次のようなものがあります。

・経営者が数々の経営問題にかかずらわれて、それを一手に引き受け続けてしまい、
 前進する方向に力を注げない
・経営者はどんどん前に進んでいくけれども、
 前を向くばかりで社内のことに目を向けられず、
 社員が不満を持ってやめていったり、
 組織がぐちゃぐちゃでせっかくの前進する力を成果につなげられず
 一向に成長しない

いずれの場合も、
経営にとって必要な部分を経営者一人でカバーすることができず、
それが企業の成長につながらないという、非常にもったいない状態です。

前者は会社が大きくなっていかないだけで、小さいながらも力がついていきますが、
後者は経営者が上に上がろうとする都度足元が崩れていきますから、
一向に会社として成長していきませんし、
多くの人を巻き込んで不幸にしてしまうおそれがあります。

ちなみに企業は必ずしも大きくなっていく必要はありませんし、
大きくなることが成長とは限りませんので、そこは注意が必要です。

組織を大きくするのであればNo.2は必要

組織を大きなものとしていくためには、
先に述べた通り、「経営」に携わるものが経営者一人では、
組織は一向に大きくなっていきません。
自分自身の右腕・左腕を早々に育成していくことや、
早い段階からNo.2としての立場を担う人と一緒に経営をしていく必要があります。

ちなみに秀吉は先ほどの例でいう、「どんどん前に進んでいく経営者」ですから、
社内に経営者と社員の間での調整役がいなければ、
経営者と社員の距離がどんどんと離れていき、
ふと後ろを振り向いてみると、誰もついてきていない、ということになります。

豊臣秀長は、この「Topの考えを部下に伝える」という仕事と、
「Topと部下、部下の間での人間関係の調整」という仕事を
一手に引き受けていたと考えられます。
だからこそ秀吉政権は絶妙なバランス感覚の元、大きく成長をし、
秀長の死亡と共に大きく瓦解していったものと考えられます。

筆者(堺屋太一)はなんとか「秀長」に光を当てて、彼の活躍を描こうとするのですが、
気が付くと「秀吉」の活躍の話のようになってしまっているのが面白いところです。
それほどまでに「彼」は自身の存在を消し、
ひたすらに政権の調整役に身を捧げていたということなのだろうと思います。


経営者である自分自身は組織運営をする人間として、どの部分が欠けているのでしょうか。
その欠けている部分を、経営者と同じ目線で補ってくれる存在が必要です。
ぜひそんな視点で、一度この本を読んでいただけたらと思います。

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