昨年の12月に「モモ」を読みました。
時間泥棒である「灰色の男たち」に盗まれた時間を、
モモという少女が取り戻すお話しです。
今日はその感想を。
20年ほど前に一度読んだことがあるのですが、その時はイマイチピンと来ませんでした。
そしてその内容も具体的にはすっかり忘れてしまっていました。
作者と作品について
この作品は、ドイツの児童文学作家である、
ミヒャエル・エンデが1973年に発表した物語です。
結構有名な作品で、ずいぶん昔に映画化もされましたので、
ご存じの方も多いかと思います。
ミヒャエル・エンデはひょっとしたら
「はてしない物語」の方が有名かもしれません。
「ネバーエンディングストーリー」という題名で
こちらも映画化されていますから。
ちなみにこの作品は2時間の映画に到底収められるようなものではなく、
後半部分はマルっとカットされて、
原作とは似てもつかないヒドいラストになっています。
原作者のエンデが怒って
このラストシーンをカットすることを訴えて訴訟を起こしましたが
敗訴して、エンデの名前をオープニングから削除することで和解したそうです。
そんな意味で、ネバーエンディングストーリーについては
映画よりも原作をオススメします。
まぁ映画化された作品のだいたいが、そんなもんですけどね。
そもそも映画の尺で作成されたものでないものを映画化することにムリがあるのです。
話しが横道にそれてしまいました。
「モモ」のあらすじを簡単に説明しますと、
主人公モモは、円形劇場の廃墟にすみついた一人の貧しい女の子。
とても人の話しを聞くことが上手で、
彼女のもとにいろんな人が話しを聞いてもらいに集まってきます。
そしてモモはそんなみんなの話しに長いことゆっくりと耳を傾けて、
その、話しを聞いてもらいに来た人たちはすっかり悩みが解決して帰って行きます。
そんな不思議な力をもった女の子です。
そしてこの街にあるとき、「灰色の男たち」が現れます。
この男たちは「時間貯蓄銀行」を名乗り、
言葉巧みに人々に時間を節約させ、貯蓄させていきます。
しかしこの男たちは実は、
人々が節約した時間を奪い、
その時間を糧にして生きている時間泥棒でした。
そして騙された街の人たちは、どんどん時間を節約することで忙しくなり、
心に余裕がなくなり、
こうして時間も心も失ってしまった人々は、
もうモモのところに相談に来ることもなくなります。
そしてこの街の人々の人生はすっかり枯れたものとなっていってしまいます。
モモは、時間の創造者である「マイスター・ホラ」の力を借りて、
灰色の男たちから時間を取り戻し、人々に豊かな人生を取り戻そうと、
活躍をします。
こんなお話しです。
ずいぶんと端折りましたが。
時間泥棒が象徴するもの
この「灰色の男たち」はもちろん、
現代社会の私たちの心の中を象徴しています。
少しでも時間を節約しないと。
少しでも効率をよくしないと。
無駄なものをなくさないと。
そうしてもっと稼いで(物質的に)豊かにならないと。
多くの人たちがこんな思いに囚われて、
あくせく働くことで心のゆとりを失ってしまっている。
そんな世の中に警鐘を鳴らしているのです。
正直、かつての自分を振り返ったときに、
こんな部分があったんじゃないかなと思います。
それによって家族にも、結構迷惑をかけてしまったなと、
反省をしています。
独立当初から私は、
「心のゆとりは時間のゆとりから」ということを意識して、
事務所経営を行ってきたつもりでした。
しかし結果としてそれは、
いつの間にか自分を犠牲にすることの上に成り立っている状態になっていました。
ですから今は、改めて
「時間の大切さ」ということを、日々見直すようにしています。
大切だからこそ、
少しでも時間を節約しないと。
少しでも効率をよくしないと。
無駄なものをなくさないと。
ということに取り組んでいます。
しかしそれは、
時間を短縮することであくせく働くことが目的ではなく、
さっさと終わらせるべきことはさっさと終わらせて、
そうやって余った時間でより豊かな人生を過ごすためです。
この目的をはき違えてはいけません。
はき違えてるつもりはなくても、人間欲どおしくなってしまい、
気がつくと余裕なくあくせくしているだけ、
ということになってしまいがちです。
灰色の男たちの勢力から、逃げ切ろう。
私もよく、会社の利益や効率を高めることをお話ししますし、
このブログでもしょっちゅうそんなことを書きますし、
自分の事務所でもそれを実践しようとしています。
具体的に、
「いかに一時間あたりの粗利益を高めるか」
ということを追求することも進めています。
しかしここで注意すべきは、
あくせくと余裕なく手を動かすスピードを早めて、
ただひたすらに過度に仕事に集中して、
時間あたりの粗利益を高めることでは意味がない、
ということです。
ゆったりとした同じ1時間のなかで、より高い生産性を生み出すために、
どんな工夫をしなければいけないか。それを考えましょう、
ということです。
力業で生産性を高めたとしても、
それはそれほど効果的ではありませんし、
まさに余裕がなくなっていって、心が枯れていきます。
うちの事務所では状況を数値で把握するために
「どのお客様の、どんな仕事に、どれだけ時間を要したか」
を記録しています。
こういったことを始めると、時間あたり単価を高めようとして、
なんとか早く必死に仕事を終わらせてしまおう!
という意識がつい働いてしまいます。
数字はとても大切なものですが、
数字に意識を向けると、その数字自体が目的化してしまって、
本来の意味を見失ってしまいます。
これが数字の恐ろしさです。
だから数字は意識はしないといけないですが、
追いかけてはいけないのです。
力業ではなく、工夫でもって収益性を高めることはできないか。
この場合の数字は、それを考えるためのデータであり、素材なのです。
売り上げ目標だって、
契約目標だって、
その他なんでも数値目標はすべてそうです。
その目標はなんのためのものでしょう?
会社の利益のためなんでしょうが、その会社の利益は、
そこで働く人たちの人生を豊かにするためのものであるはずです。
ですから、数値に追い立てられるのはやめましょう。
追い立てられる、ということは何か今の方法が間違っているということですから、
その間違いをいかに正すか、ということを考えることが正解です。
「モモ」は時間に追われて余裕がなくなってしまった人たちに、
そんなことを思い出させてくれる本です。
童話ですが、本当は子供ではなく大人が読むべき本です。
「そんな本を、読んでるヒマなんてないよ」という人は、
すでに灰色の男たちに取り付かれています。
そんな人こそ、すこし一息ついて、
「モモ」を読んでいただくことをオススメします。