ただいま、第4次産業革命の真っ只中と言われています。
そんなに世の中変わったか?と思われるかもしれませんが、
だいぶ浅い水面下で、大きく変化しています。
きっとあるとき急にとんでもない変化として顕在化するだろうと思います。
それに気がついたときには、すでに遅し。
「今」にしっかり着目して、世の中で何が起こっているのか
見極めましょう。
ということで今日はバックナンバーより、「便利になって人生は豊かになったか?」
ーーーー以降、2021/10/10の記事を転載ーーーー
世の中便利になりました。スマホやらインターネットやらSNSやら。
ただ、それで果たして人の暮らしは豊かになったのか。そんな疑問を日々いだいていますので、今日はそれをテーマに。
独立時の環境
私が独立した17年前(2004年)は、
さすがに携帯電話は普及していましたが、
スマートフォンはまだその存在すら誰にも知られていませんでした。
インターネットはすでにありましたが、ADSLでした。
LAN環境は整いつつありましたが、
小零細企業ではまだ導入されていない会社も結構ありました。
今となっては当たり前のデュアルディスプレイ、
ほとんど誰もやってませんでした(私はいち早く取り入れてましたが)。
ペーパレスにもほど遠かったです。
大学時代にさかのぼれば、
携帯電話すらまだいきわたっていませんでした。
今から思うと、すごい不便だったろうな、と思います。
基本、便利になるだけでは豊かにならない
さて、それではこれだけ世の中便利になって、
果たして私たちは豊かになったのか、ということです。
豊か、というのはやはり
「物心両面」
でとらえる必要があると思います。
まず、心の面で豊かになったかというと、
正直これは全然豊かになっていない。
特に携帯電話とメールやチャットが普及することで、
人々は周囲に振り回されて追い立てられるようになったように思います。
休日だろうが特定のお客さんからはお構いなしに携帯から電話がなります。
LINEは既読が付かないと「早く見て」と言われ、
既読スルーすると「早く返事して」と言われ
(なので、チャットワークには既読表示機能がありません)。
全体的なスピード感が上がった分、
受け手側にもスピードが要求されるようになったのです。
これは豊かになったのではなく「濃くなった」という表現が正しいでしょう。
もちろん濃い時間を過ごせることで豊かになった部分も多いですが、
息が詰まる部分が増えたのも事実でしょう。
(むしろこっちの要素の方が多いように思います)
基本私は、携帯電話について
「いつでも電話に出られる機械」ではなく
「いつでも電話をかけられる機械」と考えています。
そして電話自体こちらのペースを中断されますし相手をも中断してしまいますので、
あまり好きではありません。
ですので仕事では相手方に
「本当の緊急以外、極力チャットワークかメールでお願いします」
と伝えていますし、
こちらからも電話をかけるのは
・本当に緊急の場合
・相手方からの電話の折り返し
・チャットワークやメールでは伝達上効率が悪すぎる場合
に限定するようにしています。
(事前にTELの日時を決めておくことが多いです)
土日祝はうちの仕事はお休みですが、
休日でも私がなんとなく仕事をしているということを知っている人は、
携帯に電話をかけてきます。
「お休みのところすいません」と言ってかけてきますが、
だいたい本当に「すいません」とは思っていません。
これに出続けていると、しまいに「すいません」とは言わなくなります。
ですので申し訳ないですが、基本あまり電話に出ないようにしています。
チャットワークでいただけたら、空いてる時間に返事するんですけどね。
これはワガママなようでもありますが、
私の心の平穏を保つための防衛でもあります。
生産性もあがっていない
それでは果たして生産性はあがっているのでしょうか?
生産性を
「できた仕事の量」
というとらえかたであれば、あがっています。
しかし、
「どれだけの収益をあげたのか」、
という意味では全然あがっていないと思います。
なぜならその便利な手段が世の中全体にいきわたるからです。
基本この世の中は「競争原理」で働いていますから、
手段がいきわたるとそこに「差」はうまれません。
ですから、一般化した新しい技術を導入しないことは「後退」であって、
導入することではじめて「維持」なのです。
「携帯を使ってる、インターネットを使ってるというだけで利益が増えた!」
っていう会社、ないですよね。
そうやって時間を効率化できるツールが生まれても、
全体に行きわたり一般化する以上、それは競争力にはつながりません。
したがって収益性にも貢献しません。
時間が効率化されるということは、
時間当たりで飛び込んでくる情報は増えるでしょうから、
結果として実は心の豊かさを徐々に削られていく気がします。
今後生まれてくるであろうAIや自動運転などもそうです。
自動運転が完全になる日が来ると、
人々は運転の時間から解放されます。
しかし、例えば仕事中での車移動について言えば、
仕事中の運転自体から解放されても、それが
「移動中の仕事に置き換わる」
だけかと思います。
そしてそれが収益性につながるかというと、
一般化すると競争力を生み出しませんから、そうではないでしょう。
むしろ車の運転が好きでそれが息抜きになっていた人が、
その時間を奪われて仕事に充てられる、
ということになる予感がします。
つまり、経済的にも豊かにはならないだけでなく、
さらに心を削られる可能性があるんですよね。
(マクロレベルでは経済成長に寄与しているのかもしれませんが)
工夫が必要
だからこそ、工夫が必要だろうと思います。
どれだけキレイごとを言ったとしても、
この資本主義市場の中で競争原理が働いている以上、
人と同じことをしていては収益性はあがらないのです。
技術革新も、社会の変革です。
この社会の変革という外部環境の変化に対して
それを自分や自社に取り入れたときにどのような独自性を生み出せるのか。
自社の経営資産と組み合わせて、どのような顧客価値を生み出せるのか。
そういったことが求められるのだと思います。
そして同時にそうして便利になっていくことにより
心の豊かさがこれ以上失われないよう、
どのように自分自身の生活や仕事に取り込んでいくことが適切なのか。
これを意識しながら、世の中が便利になっていくことの効用を、
正しく自分の幸せにつなげていきたいものです。
技術革新を否定しているわけではありません。
便利になることは間違いないことですからね。
また、こういった新しく生み出される便利ツールを頭から無視することは、
先ほどお話ししたように「後退」につながります。
企業経営的にはむしろ積極的に取り入れていくことが求められます。
それを正しく導入することで、工夫次第で
収益性を高めることは可能です。
実際に零細企業でも、お金をかけず上手に活用している会社はたくさんあります。
そこはしっかり時代についていく努力を怠らないようにしましょう。