人の悪口は、言うものではない。

私は、意識的にあまり人の悪口を言わないようにしています。
もちろん、たまにポロっと出てしまうこともありますが。
人徳があるからそうしているわけでもありません。
自分に良いことは何もないと思っているからです。

枕草子を読んで確信しました。私は、清少納言とは気が合いません。

人はなぜ悪口をいうのか

なぜ人は他人の悪口を言ってしまうのでしょう?
それはやはり、
自分の不快な気持ちに対して、
相手にも共感して欲しい
ということなのだろうと思います。
そしてそれが極端な場合には、
「私はあの人が嫌いだから、あなたにもあの人を嫌いになって欲しい」
という思いがあるのでしょう。

要は、共感を求めることと
不快な気分の発散による、
ある意味ストレスの発散なのだと思います。

なぜ悪口を言わないのか

枕草子にこんな一節があります。
「人の上言ふを腹立つ人こそ、いとわりなけれ。」
意訳すると、
「人の悪口を言うことに腹を立てる人って、本当にどうしようもないよね」
といったような意味です。
別に枕草子が好きなわけではありませんが、
私にとってあまりに衝撃的でしたので、なんとなく覚えてしまっています。
私は、清少納言とは気が合わないなぁ、と(笑)。

私が悪口をいわないようにしている理由はいろいろとあります。
やはり、それを聞く立場になったときに、
気分が悪くなることがあるからです。
もちろん共感できるときもありますから必ずしもそういうわけではありません。
しかし気分が悪くなるときには、なぜそうなるかというと、
・その悪口の対象者が、自分が好きな人である場合がある
・自分の正当性を押し付けてくる
・負の感情の発露で、その場の空気感がきたなくなるように思う。
・悪口を言っているその姿自体が、美しくない、というか度を過ぎると、醜い。
こんな理由なんだろうと思います。

やはり、その場の空気を汚してしまうことが、良くないですよね。
私も当然、人のことをどうこういうこともありますが、
「本人を目の前にしても言えること、言っていること」
「それを言うことでネタとしてその場が和むこと」
ということを前提としています。
本人のいない場所でその人を罵る意図で言うことはありません。

結局それは、自分の品格を落とすことになりますし、
そうやって悪口ばかり言っている人を見ると、
よそでは同じように自分の悪口を言っているかもしれない、
と思ってしまいます。

こうやって悪口をいうことで、
人としての信用を落とし、
結果その悪口は自分に降りかかるものなのでしょう。
そういう意味で、天に向かってツバをはいているようなもんです。

悪口を言う必要はない

相当にストレスが溜まっている場合は
そのストレスのはけ口も必要かもしれません。
そのはけ口の対象にされる人もたまったものではありませんが(笑)

しかしストレス発散以外に悪口を言うことに
メリットは何一つ考えられないんです。

本人に変わってもらいたいと思うのであれば、
本人に直接言えばいいことでしょう。
悪口という形で発信しても、
解決することなど何一つないように思います。

そして何より、度が過ぎると
その悪口を言っている本人が、一番醜く見えてきてしまう。
そんな人にはなりたくないなぁ、とおもうのです。

人のことを
「ああ、これはよくないなぁ」とか
「ああ、それは嫌だなぁ」と思うことはもちろんあるわけですが、
悪口・噂話を広げることで発散するのではなく、
自分はそうならないように反面教師としてとらえて、
もし自分にもその要素が少しでもあるのなら、
わが身を振り返って反省すれば、
それでいいんじゃないのかなぁと思います。

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