AIについて思うこと。

何年か前からAIの進化によって消える仕事と言うことが取り沙汰されるようになりました。
私はAIに関しては完全に門外漢ですので
「それ違うよ」と言う批判をいただくかもしれませんが、
そこは勇気を持って私なりの意見を書いてみたいと思います。
ちなみにコメント欄は設置されていませんので、いずれにしても皆さんの意見や批判は私の耳には届きません(笑)

某通信学習の付録としてついてきた「AIロボ」。まったくAIではない。

AIは人を超えるのか

Deepラーニングと言うものが登場し、
量子コンピュータがその萌芽を見せたあたりで、私は
「あ、これはいずれAIが人間を凌駕するわ」
と直感的に思ったことがありました。
そしてそれについては、今でも同じように考えています。

ここのところは専門家によって大きく意見の分かれるところで、
どこまでいってもAIは
人間の脳の能力を拡張するに過ぎないと言う人もいれば、
いずれ人間の能力を超えて独立した意識を持ち始める、
と考えている人もいます。
いわゆる天才と言われているすごい人が、
「AIは進化しても人間の脳の能力を拡張するだけに留まる」
とおっしゃっているのでひょっとしたらそうかもしれませんが、
私にはそうは思えないのです。
すごく感覚的な話ですが。

コンピューターの仕組みは基本的にすべてゼロかイチかの寄せ集めで、
人間の脳はゼロとイチの間で無数に行き来している
という話しも聞きましたが、
最終的に根本的な仕組みを同じ状態にもっていけるのでは、
と思っています。
仕組みが同じものであれば、
同じところに到達してしまうんじゃないかなと思います。
そして処理能力の速さと、疲れ知らずという部分で
最後はAIが凌駕してくるのではないかと。

しかし最後の最後でAIが「感情」と言うものを
保有するかどうかは正直分かりません。
人間で言うところの
「魂」というものをというものが、AIに宿るのか。
ここまでくると哲学的な要素が含まれてきますので、
正直どうなるかわからないですよね。

AIによってなくなる仕事

AIの仕組みが完全に脳に置き換わるかどうかは別として、
そこまでに至らないとしても、AIが進化することによって、
現在人間の行っている多くの仕事が
AI及びロボットに代替されてしまうことは間違いありません。
私の本業(?)である税理士なんていう仕事は
特に指摘されていることですが、
比較的早くAIに代替され、
ほぼなくなるのではないかなと思っています
(全くなくならないとも思いますが)。

基本的にAIの得意な仕事は
「知識を積み重ねてそれを経験とし、判断に利用する」
ということが挙げられます。
あとそこにロボットを組み合わせると
力仕事・体力仕事はとても人間の及ぶところではなくなるでしょう。
そして「知識の積み重ねと、それに基づく判断」
という部分においては、
そこに感性を挟まない知的労働は真っ先に
とって替わられるのではないかと思っています。

自ら情報を取得して
それを知識として積み重ねていくようにプログラミングされたAIは
ものすごい勢いで学習し、
考えられないスピードで進化していくでしょうから、
一度とんでもないスピードで進化し始めると、
もうそこからはいろんな方向性に
止めどなく広がっていくものと思われます。
知的労働のほとんどがあっという間に飲み込まれてしまう。
そんな気がするのです。

製造現場においても
 自ら自動的に不良品を検出し、
 自らその原因を探り当て、
 自らそれを解決する生産LINEをつくりあげてしまう、
そんなAIが誕生するでしょうから、
その延長線上に思い浮かぶのは、
『AIロボットが自分で自分よりも優れたAIロボットを生産してしまう現場』
でしょう。
そんな日がそれほど遠くない未来に訪れるのではないかと思っています。

そうなると、ほとんど人間の出る幕は無いですよね。
これまでの歴史の中で
いわゆる産業革命と言われるものが何度かありました。
その都度、
「人間の仕事がなくなるのではないか」と言われてきました。
しかし逆にその産業革命を通して新しい仕事が生まれてきました。
この例を取り上げて、AIが進化しても
またきっと新しい仕事が生まれるはずだ
と言う意見が多く聞かれます。
しかし、人間の一部の能力の拡張ではなく、
そもそも人間のほぼあらゆる能力を凌駕するものが出来上がった場合、
これはかつての産業革命とは全く意味合いが異なるように思います。

人には何が残されるのか

マシンが人の能力を超えるときに人の価値は失われるのか、
という例としてよく言われるのが、
『「できるだけ早く場所から場所へ移動する」
と言うことだけを取り上げるとウサインボルトに価値はない』、
と言うものです。
なぜなら車やバイクの方が圧倒的に早いからです。
しかし現在でもウサインボルトには大きな価値がある
(もうずいぶん前に引退されましたが)。

車やバイクなどは、人間の「走る」と言う能力を
機械を使って拡張したものです。
だけどウサインボルトに価値があると言う事は、そこに
「人間がやることだからこそ価値がある」
と言う部分が残されていることを意味します。

もはや将棋だって囲碁だって、
すでにAIの方が強いわけですから、
それでもプロの棋士が残っていると言うことは
きっとそういうことなんでしょうね。
でもここから考えられる事は、
「ウサインボルトやプロの棋士のような特殊能力を持つ人しか評価されない」
と言う世の中です。

ではそれ以外に人間の残された道と言うのは無いのでしょうか?
先ほどAIは感情を持つのか魂を持つのか
と言う話をしました。
おそらくこの辺がヒントになってくるのではないかと思います。
もしAIが感情や魂を保有することができるとしても、それは
本当に相当遠い将来の最終局面だろうと思います。
ひょっとしたら偉い人が言っているように、
AIはそういったものを持ち得ないのかもしれない。
とするならば、人間の特異性と言うものは
この部分なのでは無いかと思います。

つまり本当の意味で感情を揺さぶるとか魂を揺さぶるとかといったものは
AIには想像することができないのではないかと思います。
もちろんそれを定量的に分析し再現することは可能でしょうが、
どこまでいっても「人工物」としての平べったさが
残ってしまうのではないでしょうか。

またAIがどのようなレベルのものに至ったとしても
最後の最後まで決して人間の体から離れないものが
「主観」
です。
 自分自身がどう感じるのか。
 自分自身がどのように思うのか。
 自分は何が好きで何が嫌いなのか。
 自分はどういったものに価値を見いだすのか。
こういったものがAIに奪い取られる事はありません。
だからこそこれからの時代求められる事は、
自分なりの感性で考え、自分なりの判断で発信すること。
自分だけの独自性のある世界観を作り上げること。
こういったものが重宝されることになっていくのでしょう。

そんな人間になっていくようなっていけるよう、
いろんな物事を自分なりの角度から、
またいろんな角度から眺めて、
自分なりの考えが持てるよう習慣付ける必要が
あるんじゃないかと思っています。

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