「鬼と人と」から学ぶ、思いの伝わりにくさ。

ずいぶん古いものになりますが、故:堺屋太一氏の歴史小説で
「鬼と人と」というものがあります。
経営者が読むと、いろいろ考えさせられる内容のものです。

鬼と人と、ハードカバー単行本の表紙。誰かに貸したら帰ってこなくなって行方不明。返してください・・。

「鬼と人と」の紹介

私は結構歴史小説が好きで、
特にそれを経営視点で考えさせられるものを、好んで読みます。
その中で私が特に好きなものの一つが、
「鬼と人と」です。
冒頭記載の通り、堺屋太一氏によるもので、
私が高校生か大学生くらいのときの本ですから、ずいぶん前に書かれたものです。

織田信長と明智光秀を取り上げた作品で、
もちろん「鬼」が織田信長、「人」が明智光秀です。
織田信長が天下統一への階段を上がっていく過程で起こした戦や事件について、
それを信長と光秀それぞれの視点から、
「独り言」という形式で交互に語られる、という作風になっています。

当時は今と違って、明智光秀はまだまだ
「主君を殺した下剋上の代表者」であり、
一般的な印象が良いものではありませんでした。
しかしこの作品では、明智光秀は文化や伝統を重んじる常識人、として描かれています。
歴史小説ですから史実には忠実であるものの、
あくまで一考察であり、「小説」であるという理解は必要ですが、
当時としては画期的だったのではないかと思います。

そんな常識人の光秀は、
一般人としての良識をもった「人」。
そして織田信長は天才であり、
突飛な発想と常識破り・型破りで鬼人のようなふるまいをする改革者として描かれます。
つまり、常人には理解されない「鬼」。
この二人がどのような思いのすれ違いから、
最終的に「本能寺の変」を迎えるに至るのか、
そして本能寺の変の後、光秀はどのような思いにかられるのか。
それが「独り言」として非常にリアルに描かれており、
あたかもこのそれぞれの想いが史実であったかと感じられるほどです。

ちなみにこの作品は、
大河ドラマ「秀吉」の原作の一部となっています。
大河ドラマ「秀吉」は
堺屋太一による、この「鬼と人と」、
豊臣秀吉の弟を描いた「豊臣秀長」、
そして秀吉自身を描いた「秀吉」という三作が原作となっています。
このどれもが秀逸です。
特に「豊臣秀長」については、また別の機会に紹介したいと思います。

トップとNo.2の想いの差

組織のトップである経営者の想いはなかなか、
社員さんには伝わりません。
これは実際に社員さんを雇用している経営者は、
骨身に沁みて実感されていることかと思います。
これは、経営者とNo.2の間でもそうです。
ある経営者が言っていた、今でも忘れられない一言があります。

「社長と副社長の思いの格差は、副社長と守衛さんの間にあるそれに匹敵する」

この言葉通りのことをおっしゃってたわけではありませんが、
ニュアンスとしてはだいたいこんな感じのことでした。

経営者とそれを支えるNo.2の間にさえ、これほどの考え方の差があるのだから、
経営者と社員さんの間には、とてつもなく深い大きな溝がある、
ということです。
ここで注意しておかなければいけないのは、
これは社員さんのレベルが低いとかそういうことではありません。
それぞれがそれぞれの立場に置かれている中では、
このような関係になって当然であるし、
自然なことである、
ということです。
まずこれが前提であるという理解をしておかないといけないということです。

「社員さんは、経営者の考え方をわかって当然」とするか、
「社員さんは、経営者の考え方がわからなくて当然」とするかで、
大きくアプローチの違いが出てくるわけですから、めちゃ重要です。
スタート地点からそもそも違うわけですからね。
そしてこの「鬼と人と」を読むと、
その「考え方の相違」というものがとてもうまく描かれています。

一つの出来事を信長と光秀それぞれが自分の視点でとらえたときに、
それぞれは「良かれ」と思って考えています。
一つの出来事に対して全く違う結論に至ってしまうわけですが、
そのそれぞれの考え方は、それぞれの立場において決して間違っていないのです。
ただ、そこにあるのは、
「考え方の相違」
です。
信長は
「光秀ほどの優秀な人間が、なぜわかってくれないのか」
と思っています。
光秀も
「信長さまはどうして私の想いを理解いただけないのか」
と思っています。
そして徐々に心が離れていき、光秀の考える
「大切に守らなければならないもの」を守るためには、
信長を討つしかない、という結論に。
そして本能寺の変にいたります。

単純な話し、コミュニケーション不足です。
この一言で片づけてしまえばそれまでなのですが、
経営者は結構これをないがしろにしていることが多いのです。
自分がやっていることは、会社と社員を守るために当然のことだ、
と思ってやってますから、
「社員もきっと、わかってくれてるはずだ」ということで、
その考え方のすり合わせが全くできていないのです。

どれだけ考え方が近いと思っていても、
ちゃんとこれを伝えないことには、伝わりません。
だからこそ、これを伝え続ける必要があるのだと思います。
社員の方から近づいてくることを期待するものではありません。
そんな奇特な社員はそうそういるもではありませんから。
そうしてコミュニケーションを取らず放置しておくと、
いつの間にか社員さんの心が離れてしまっている組織を
これまでたくさん見てきましたし、
私自身も体験しています。

しかし、丁寧なコミュニケーションを通して、
組織が同じ方向を向いて進み始めたときには、とても大きな力を発揮します。
これは中小企業の強みであると考えています。
大企業は組織が大きすぎて、
経営者や役員の考えを全員に届けることは不可能です。
ですから組織を動かすことを「仕組み」で解決していく必要がある。
これが大企業だと思っています。
これに対して中小企業、特に小零細企業は
社員全員の方向性を整えることが可能です。
せっかくの強みなのですから、
それを活かして強い組織を作っていくことを
考えてみるべきなんじゃないかと思います。

特に、No.2には、経営者の思いをよくよく噛んで含んで伝え、
正しく理解してもらうことが必要です。
そしてNo.2には、部下の方を見て、ではなく、
経営者の方を見ながら組織を動かしていく役割を果たしてもらいましょう。
No.2が経営者でなく部下の考え方に寄り添ってしまうと、
本能寺の変が発生します(笑)。
これに対して秀吉には理想のNo.2としての「豊臣秀長」が存在しました。
これは、非常に大きな差であるように思うのです。

トップの考えは、その立場にたたないとわからない

「鬼と人と」では、本能寺の変の後、
光秀が羽柴秀吉によって山崎の戦いで追い詰められるところまでが描かれています。

光秀はNo.2の立場で、
「自分の理想を実現するには、自分がトップに立つしかない」と考えます。
そしてきっとそれが自分にはできると考えます。
しかし、本能寺の変で信長を討ち、いざ自分がトップに立った時に、
はじめて実感するのです。
「組織の長に立つものは、これほどまでに大変なことなのか」
ということを。

光秀は、常識人ですが超秀才ですから、
信長を討ちとった後のことも、抜かりなく綿密に計画を立て、
その実行シミュレーションを行っています。
しかし、現実はその通りには進まず、
次から次へと問題が降り注いできます。
これを今までとは次元の違うスピード感で決断し実行に移す必要があり、
かつその全責任は自分自身にのしかかってきます。
そして、一つその判断を誤ると、
それが原因でまた一つ問題が発生し、問題がどんどん膨れ上がっていきます。
そうやって次第に追い詰められていく中で光秀は、
信長の凄さを真に理解し、
自分の考えが極めて浅かったことを思い知ります。

実際の経営者と社員さんの間にも、
おそらくこれくらいの意識の差は当然にあります。
社員さんの考えが浅い、だからダメ、とかいうことではなく、
その立場にいないんだから、わかりようがない、
ということなんだろうと思います。

だから、経営者はその意識をもって、
社員さんと接する必要があります。
「基本、全てを理解してもらうことは不可能なんだ、だから丁寧に伝えなければいけないんだ」と。

このブログをもし経営幹部の方が読んでくださっていたら、
逆にこう考えていただきたいです。
「自分はTopではないんだから、経営者の考えや深い悩みを正しく理解することはできないんだ、だからこそ少しでも経営者の考えることを理解するよう努力しよう」と。

この両者の思いが反対を向いてしまうと、本能寺の変が発生します(笑)

この考え方を両者が持つことができるかというきっかけも、
それは日頃のコミュニケーションなんだろうと思います。
まずは互いに相手を尊重できる関係性でいること。
これを成立させるにはコミュニケーションが欠かせません。

ぜひ経営者の方から一歩踏み込んで、
互いの良好な人間関係を築き上げる土壌を作り上げていただけたらと思います。
とても、難しいことなんですけどね。

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