世の中がリアルに戻ろうとしていることについて。

コロナ感染について、あまりうるさく言わなくなって、
世の中がリアルに戻ろうとしているように思います。
奈良の観光客も、もちろんまだ外国人は入国制限の関係でほとんどいませんが、
日本人に関して言えば、相当戻ってきているイメージです。

県民割りも全国旅行支援も、果たして必要なのか?とさえ思います。
まぁ政治的な話しは置いときまして、
リアルに戻ろうとしている世の中に対する私の考え方について。

観光客が戻ってきて、鹿たちは喜んでいます。おやつくれるし。

リモートはどの程度「先取り」されたのか。

コロナが蔓延したおかげ(こういうと不謹慎ですが)で、
世の中、リモートで出来ることが一気に進みました。

コロナ前とコロナ中で、
その部分について大きな技術革新があったわけではありませんから、
このリモートの進歩は、技術によって生まれたものではなく、
人の心理的なハードルを越えたことによって生まれたものと考えています。

さてそれでは、感染拡大によってリモートに関する「時代」が、
どれほど先取りされたのでしょう?
2~3年という意見もありますが、
リモートに転換できない原因は技術ではなく心理的な要素であったことから、
案外もっと先取りされたのではないかと思います。

技術が進歩してそれによって
「こんなことができるようになった!」
というものは
その技術ができるかできないかということだけですから、
技術的ハードルを越えると、
そこからいっきに進化します。

しかし心理的なものは、
これはなかなか越えがたい。

なんせ技術が到達しているとしても、
それを人々が求めないわけですから。

そして求めないということはそこに需要が少ないということであって、
結果として技術の進歩も進みにくくなります。

コロナが来てなければ、案外5年以上経っても、
これほどリモートが一般化していなかったんじゃないかと思います。

リモートが進まない原因には、
便利とか不便とかというものとは、別の次元の力が働いていましたから。

例えば直接出向いて直接顔を合わせないのは失礼だ、とかいう、
今から思えばよくわからない理屈であったり、
といったものです。

ここまでくるとこれは「心理」を越えて
「習慣」「文化」に近いものがありますから、
そうそう簡単に乗り越えられるものではなかったんじゃないかと思います。

そんな意味で、不謹慎を承知で、あえて、
「コロナのおかげ」だったのです。

リアルもリモートも善し悪し。

リモートが進んだ中でも、
イマイチ定着しなかったモノもあります。

例えば「zoom呑み会」ですね。
人によっては「これはこれでありだよ」
という方もおられるでしょうが、私は全くピンと来ませんでした。

特に大人数になると困難ですよね。
3人まではみんな一塊で話しをしているので、
それなりに問題なく盛り上がることができますが、
それ以上になると、なかなか難しい。

例えば4人で呑んでいて、
リアルだと2人ずつに分かれて会話が盛り上がる、ということもありますが、
リモートだとそれは不可能です。

お店に行かなくて良い
その分移動の面倒がないし、お金もかからない
そんなメリットはありますが、
直接会って呑み会をすることのメリットを
凌駕するものではありません。

少なくとも私の中では。

一方でリモートになっても何の影響もないもの、
むしろリモートの方が効果的になったものもあります。

特に会議に関しては良いとこばかりだったんじゃないかと思います。
もちろんその会議の目的にもよるのですが、
コミュニケーションを深める、とかいうことではなく、
「ただただ、結論を出す」ということに特化したものについては、
極めて効率的になったように思います。

リモートだと、話しが横道にそれることが少なく、議題に集中出来るので、
さっさと決めることを決めるということができましたし、
その場に「空気感」が生まれにくいですから、
空気を気にして言いたいことが言いにくい、
ということも減少したんじゃないかと思います。

少なくとも私の中では、ですが。

会社の業務も、リモートを推進することで、
「人に役割を貼り付ける」という本来の組織運営のあり方が、
適切に実現できるようになりました。

人と人が交わると、そこに良好なコミュニケーションも生まれますが、
そこに「非効率」という怪物が生まれる、
というのもまた事実です。

それぞれが与えられた役割を果たす、というシンプルな働き方を行う上では、
リモートはとても有用性があったように思います。
実際にそれによって改革が進んだ会社もありますしね。

元に戻すのは、あまりに惜しい。

ただ、いずれにしてもそれぞれの価値観がありますから、
どの部分を大切にするかによって、
リアルがいいのかリモートがいいのか、というのは
どうしても意見が割れるところです。

現在、「人に会うこと」と「移動すること」の自由度が
大きく高まりましたから、
これまでの反動で、
どんどんいろんなものがリアルに戻ってきているように思います。
しかし一度根付いたリモート社会、
これをなんでもかんでもリアルに引き戻すのは、
あまりにも勿体ないことだろうと思うのです。

リアルに戻すにしても、
リアル・リモート双方のメリットデメリットを見極めて、
「なぜリアルに戻すのか」
というところを慎重に判断していきたいところです。

また、ゼロか100かということでもないでしょうから、
双方の利点を活かすために、
「時にはリモート・時にはリアル」
という折衷案も大いにありでしょう。

これでまた、いろんなものがリアルに引き戻されて
それが一般化してしまうと、
またリモートの世界に帰ってくるのは、
大きな労力を伴うように思います。

リモートが精神的・文化的ハードルを越えることで、
さまざまな働き方が、時空をこえました。
それにより、人生のあり方が大きく変わった方もおられることでしょう。

多種多様な働き方によって、せっかく生まれた豊かな人生の可能性。
この芽をつまないように、
前の時代に戻るのではなく、次の時代へと進む気持ちで、
リモートとリアルの使い分けを行っていくことが
大切なんじゃないかなぁ、と思います。

ちなみに私は、
深い考えもなくリアルに先祖返りしてしまうのを危惧しているだけで、
なんでもかんでもリモートを信奉しているわけではありません。

実際に世の中がリモート一辺倒だったときには、
「今こそリアル」と言わんばかりに、
プライベートではリアルを満喫していました。
これまた不謹慎な話しですが(笑)。

やはり人間関係を深めるには、リアルに勝るものはありません。

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