学びを止めることは、恐ろしい。

学びを止めることは、恐ろしいことです。
今日は、学び続けることについて、その大切さと方法について。

マスターキートン。大学時代からの愛読マンガ。

人はなぜ学ぶのか。

なぜ、人は学ぶのでしょう?
私はその道の学者でもなんでもないですから、
これから述べることが正確かどうかわかりません。
しかしあながち間違っていないとも思いません。

人には知識欲というものがあります。
新しいことを知ったら、
「おお、そうなのか」とうれしくなったり、
新しい経験をしたら、
「おお、こんなことがあるのか」
と刺激を受けます。
得る知識の種類や方向性に違いはあれど、
知識を得ること自体が楽しいと感じるように、人間はできています。
そんな意味で知識欲は多かれ少なかれ、
全ての人間に備わっているものだろうと思います。

人類は700万年ほど前に誕生したらしいです。
よくよく考えたら、人類ってめちゃ脆弱です。
生まれた子供はなかなか成長しないし、
力も弱いし走るのも別に速くない、
こんな生き物がなんで生き残れたのか昔から疑問に思っていたのですが、
それは紛れもなく「知恵」を持っていたからです。
進化の過程で人間は学び続けて知恵を獲得し、
学び続けるからこそここまで生き残ってこれたんじゃないかなと思っています。

そうなると、「学ぶこと」は人間の本能に刷り込まれていることでしょうし、
学ぶことこそが人間を人間たらしめてるんじゃないかと思います。

マスターキートン

私の好きなマンガに、
「マスターキートン」というものがあります。
大学時代に私のバイブルとなっていました。
今でも好きなマンガベスト10に入ります。
いろんな学びを得ることのできるマンガ、
今これを書いていて、改めて読みなおしたいなと、ふと思いました。

この主人公、軍隊経験のある探偵をやっている考古学者、という設定。
その中で主人公が恩師から教えられ、自身の生徒へ伝える言葉があります。

なぜ人は学び続けるのか
人間は一生、学び続けるべきです。
人間には好奇心、知る喜びがある。
肩書や、出世して大臣になるために、学ぶのではないのです。
では、なぜ学び続けるのでしょう?
・・・・それが、人間の使命だからです。

マスターキートン 浦沢直樹 画/勝鹿北星 原作 3巻 屋根の下の巴里より

「人間の使命」。
つまりそもそも人間とはそういうものなんだよ、と。
人は学び続けるからこそ自分を新しく更新することができ、
そうすることで生きる喜びが生まれてくるんだろうと思います。

学ぶのをやめるとどうなるか。

なぜ自分は学んでいるのかな、と考えたときに、
やっぱり新しい知識を得ることが楽しい、からです。
人生の役に立とうが立つまいがあまり関係ありません。
でも、役に立ったことが実感できたら、それがやっぱり一番楽しい。

「使命」とまで考えたことはありませんが、
「本能」というのはわかる気がします。

「新しいことができるようになる」ということも、
一見頭を使うことではないように思えますが、
これも知識欲の一環でしょう。
ですから、
これまで出来なかったことが出来るようになると、うれしい。
きっといくつになっても学び続けるんじゃないかなと思います。

それじゃあ、学ぶことやめたらどうなるんでしょう?
学ぶこと自体が人間にとって、
「本能」であり、
「使命」であり、
学ぶことこそが、人を人足らしめていると考えると、
人間は、学ぶことをやめた瞬間に、
人間として枯れていくのだろうと思います。
そして徐々に自信のない、信念のない、
魅力のないものへと変わっていってしまうのだと思います。
お年寄りの方でも、
新しいことにチャレンジしたり、
新しいことを吸収しようとしている方は若々しいですよね。

そして、別の見方としては、現実社会において、
時代は流れ、
どんどんと世の中は変わっていきます。
これを進歩と呼ぶかどうかは別問題として、
少なくともどんどん新しいものへと変化していきます。
その中で自分自身が「学びを止める」ということはどういうことか。
それは止まっているようでいて、
相対的には「退化している」ということですよね。
だって世の中は進んで行っているわけですから。
だから、学びを止める、ということは恐ろしいことだと思うのです。

学びを得る方法

これは本当にひとそれぞれだと思います。
自分自身が「これが最適!」という方法を探していただくのがいいのですが、
その切り口として
「人・本・旅」というものがあります。
これは完全に受け売りで、
もともとは私の尊敬する人物の一人である出口治明氏がおっしゃっていることです。
人は、「人・本・旅」から学びを得るので、
積極的にその機会を持つようにしましょう、
ということですね。

・人

これは単純に「人から学ぶ」ということですね。
私は基本人見知り(周りからはそう思われませんが)で、
結構一人でいることも好きなのですが、
それでも積極的に人と交わろうとしています。

人の知見はひとそれぞれですから、
自分と違う人と接することで、
本当に多くの事を学ぶことができます。
いいことも悪いことも。
その中でいいことは取り入れるようにすればいいし、
悪いことは反面教師にすればいい、と思っています。

セミナーとかを受講したり、講演会を聴きに行ったりするのも
「人」から学ぶことですよね。
今はいろんな手段でいろんな人の話しを聴くことができる時代ですから、
どれだけ人と会うのが苦手な人でも、
人から学ぶことはできます。
特に仲良くなる必要も、わざわざケンカになるような議論もいらないですしね。
人の発するものをそのまま受け止め、
自分なりに咀嚼していくことでも学びになるだろうと思います。

これは本当にスゴイものだと思います。
どういったものを「本」と定義するかによりますが、
もっとも古い書物は5000年前の粘土板に刻まれた行政記録だそうです。
聖書も仏典も2000年以上前に書かれたものですから、
そういった人類の何千年にもわたる叡智を、
現代において得ることができるんです。

場所も日本にいながら
世界各地の人の声を本を通して聴くことができます。
時空を超えて、過去の偉人の言葉を聴くことができる。
しかもそれをわかりやすく解説してくれているものまである。
こんなに素晴らしいものはないですよね。

これまで何千年もの歴史の中で、
今自分の体験していることはすでに誰かが体験していることです。
書籍はそれを後世に伝えてくれている、という意味で、
本や歴史から学ぶことは本当に無限だなと思います。
世界中の本を読むことなんて不可能なわけですから、
文字通り、無限。

知識を得ることは力になります。
そういった意味で本は力の源です。
すごい余談ですが、最近読んでいるマンガで
「図書館の大魔術師」というものがあります。
本から知恵や知識を得ることが大好きな少年が、
世界を救うことになるお話しです。
まだまだ先は見えないほど途中ですが、
とても壮大なお話しで、絵もめちゃきれいで、
とても奥行きを感じる、名作です。
興味のある方はぜひ。

文字を読むのが苦手な方は、秀逸なマンガでも、
本当にいいと思います。
マンガはまったく馬鹿にできないですよ。
むしろサブカルチャー扱いされているのが不思議なくらいです。
お話しに絵が付いているということで見下されているだけで、
文字だけのの書籍と比較しても充分に学びを得ることができるものです。
「所詮マンガだから」と見下さず、
何からでも吸収する貪欲さが、必要かなとも思います

知らない場所に行って、
文化や常識の異なる知らない人と交わり、
知らない食べ物を食べる。
これだけで充分「学び」です。

自分がいる場所は居心地がいいですが、
どうしてもその空間に支配されてしまいますから、
視野が狭くなっていきます。
基本私は出不精なところがありますから、
油断するとそうなってしまいます。
だから意識的に知らない場所にいくようにしますし、
そこの人と交わることを意識したりしてます。迷惑にならない程度に。

最近、もう一つの拠点である京丹後市で
新たなネットワークが生まれつつあります。
旅とは呼べないかもしれませんが、とても刺激的で、
こういったことが人生を豊かにしてくれるのだなということを実感しています。

視野を広げる、という意味では
「旅」から学ぶことはとても大切なことなんだろうと思います。
今はなかなか時間が許さなくて機会も少ないですが、
もう少し自由に動けるようになるよう工夫して、
少しでも旅に出る機会を増やすことができたらなぁと思っています。


これら3つのうち、
理想はそのすべてから学ぶのが一番でしょうが、
やはり人には得手不得手がありますし、
向き不向きもあるでしょう。
だから、その中から一番自分に向いているなぁと思う手段を自分なりに選んで、
その道から学びを深めていくのがいいんだろうと思います。

でもそれぞれから得られる知見はやはりそれぞれ特徴がありますから、
できるだけまんべんなく、
「人・本・旅」から吸収したいものです。

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