未来創造マネジメント㈱では、
税理士業(税理士法人トレイス、として)およびコンサル業を行う傍ら、
京丹後市丹後町間人の地域活性化事業を行いつつあります。
そしてここには、遊び心満載で、
私のこだわりを詰め込んでやろうと思っています。
ただそれが単なる自己満足に終わらないよう注意しなければなりません。
ということで今日はバックナンバー「こだわりと実利のバランス」です。
ーーーー以下、2021/12/21より転載(一部改訂)ーーーー
よく「職人のこだわり」という言葉を耳にします。
でも、そのこだわりを生みだしている職人が
儲かっていないケースも多々あります。
こだわり過ぎるだけではそれは会社のためになりません。
今日はこだわりと実利のバランスについて。
そもそも「こだわり」は必要か?
「こだわり」について考える前に、
まず「こだわり」というものは必要なのでしょうか?
結論から申しますと、これは絶対に必要です。
なぜなら、こだわりが「独自性」を生み出すからです。
こだわりとは、誰のこだわりなのでしょう?
それを会社でやっている以上、
それは経営者のこだわりであり
社員・職人のこだわりであり、
会社のこだわりです。
自社の中から生まれてくるこだわりは、他社との「差」を生み、
そこに独自性が宿るのです。
このブログでいつもお話している通り、
小零細企業には「独自性」というものが絶対に必要です。
よそと同じものは売れませんし、価格競争の中でしか勝負できないからです。
そして、「こだわり」は
商品の見た目や機能性などだけではありません。
・その商品にどんなサービスを付加するのか
・どんな空間を演出するか
・どんな商品の届け方をするのか
こんな部分にまで「こだわり」というものを行き届かせることができますし、
行きわたらせる必要があります。
そういった隅々にこだわることで、
自社の商品・サービスの独自性が高まり、
それが、自社の顧客創造につながるのです。
こだわりの欠如は、他社や他社商品と違いのない、
妥協の産物なのです。
こだわり過ぎもよくないのか。
冒頭の職人のお話しのとおり、
こだわってもそれが時間ばかりかかるものであって、
全く会社に恩恵を与えていないことも多々あります。
それではこだわり過ぎることはよくないことなのでしょうか?
ここでまず考えるべきは、
そのこだわりは自分のためなのか、人のためなのか、
ということです。
それを客観的に考えてみて、それが誰のためにもならないのであれば、
即刻やめることです。
要は、そのこだわりが「自己満足」になっていませんか、
ということです。
自己満足は、価値を生みません。
確かに、自分は楽しいかもしれません。
しかしそれはビジネスの現場においてはただの無駄であり、
趣味の世界なのです。
自己満足によるこだわりが極まって、
その極まりが話題になって会社に恩恵を与えることもありますが、
それは「たまたま」と考えるべきだろうと思います。
そして自己満足によるこだわりの弊害は、
マーケティングの世界だけにとどまりません。
会社の仕組み化の現場においても同じことが生じます。
仕組みを突き詰めていくと、
どんどんと不要な書類や社内手続きが増えて、
悪い意味で役所化したり、大企業病(大企業でもないのに)にかかったりします。
そういった現象は
「仕組みを作らねば」という思いに囚われて、
その仕組みが「誰のため?」という思いが欠落していることによって生じます。
誰のためにもならない仕組みは非効率の温床です。
いったんやめてみましょう。
そのうえで大きな弊害を生みそうだ、ということになったときに
改めて考え直してもいいんじゃないかと思います。
世の中どんなことでも、
「シンプル」であることがとても大切です。
「なんだか複雑化してきなぁ」と感じたら、
それは何か方向性に問題があると考えるべきでしょう。
ちょっと話しが横道に逸れましたが、
商品にしても社内の仕組みにしても、
こだわり過ぎること自体が良くないのではなく、
それが価値を生んでいないことに問題があるのです。
こだわりが価値を生み出すために。
それではどうすれば、
その「こだわり」を価値につなげることができるのでしょう?
先ほど、
「そのこだわりは、自分のためなのか、人のためなのか」
という問いかけをしました。
それではその「人」とは、どんな「人」なのでしょう。
ここでまず考えるべきは、
「事業の目的は?」というお話しです。
ドラッカーのいうところの、事業の目的です。
それは、「顧客の創造」です。
商品を作る。
商品を届ける。
ここには相手として「顧客」が存在するわけです。
ですから、こだわりが自己満足化しないために考えるべきことは、
「そのこだわりは、顧客・ターゲットのためになるのか」
ということです。
ここにフォーカスして考えるようにしましょう。
そのこだわりによって生み出される「違い」は、
自社が届けたい人に正しく価値として届く「違い」なのでしょうか?
「商品価値を高める」という言葉を言い訳に、
自己満足のための活動をしていないでしょうか?
「より良い商品を!」
「より良いサービスを!」
「顧客第一!」
これらの号令の元、自己満足化が進んでいきます。
最初はお客様のためと思ってやっていますから、
楽しくてやっているかもしれませんが、
いずれは、社員の疲弊につながります。
なぜなら労働時間ばかりが増えて、
利益と給料につながらないからです。
経営者は、会社内のこだわりが変な方向に行ったら、
それを止めましょう。
そしてそれを止めることができなければ、
こだわりの追及は会社の疲弊と非効率化を生み出すのです。
ただ、この「こだわりを止める」という場面においては、
それがなぜ自社のこだわりとしておかしいのかちゃんと説明できなければ、
社員さんは会社の方針に従ってにやっていると思っていますから、
「言ってることが違う」
となってしまいますので、注意が必要です。
価値を届ける相手は自分ではなく、「顧客」です。
そしてそれがちゃんと価値として顧客に届いていれば、
それを価格に転嫁することができるはずです。
というか、価格に転嫁しなければなりません。
それができないとすれば、理由は2つ
「実はその顧客にとって価値ではなかった」
「価格に転嫁する勇気がない」
このどちらかなんじゃないかと、思います。